玉ノ井林用軌道6 (本宮町)   2007.02        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

前回、2005年8月の探索では断念したK〜L間への進入を試みる。

暖冬の今年は雪なし藪なしで、探索には好都合だ。

 

前回とは逆に、L地点からスタートした。

 

 

 


<L地点>

軌道跡と車道が平行して通るこの場所にクルマを停め、探索を開始する。

 

 

 

 

 

視線を左に移す。

よし、これなら行けそうだ。

 

 

 

 

 

 

前回はこんな状態。

入って入れないことはなかったが、どうにも入りたくなかったのだ。

ただでさえ蒸し暑い中、藪に入る気にはならなかった。

 

 

 

 


軌道上に入り、振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

前回の様子。

何も計算してないのに同じ構図になってしまった。

撮ってる人が同じだからかな。

 

 

 

 


さて、ここからは未知の領域である。

前回は遠望にするだけに留まった区間に足跡を残すのだ。

延々と続く築堤に胸が高鳴る。

 

 

 

 

 

作業道としては現役のようで、しっかり刈り払いされている。

落ち葉でふかふかの軌道跡を気持ちよく進む。

 

 

 

 

 

 

 

 

道の真ん中に標柱があったので観察すると、「乙ノ四」とあった。

営林署が設置した林班の境界標だと思われるが、かなり古いものじゃなかろうか?

裏側には「山」とあった。

 

この林鉄は官営だったのかな?

 

[2008.08] 追記
営林署の事業でした。

 

 

 

車道から遠望した築堤の先端部に着いた。

正面には果樹園があり、そこで軌道跡は消えてしまう。

 

 

 

 

 

 

私は果樹園から右に曲がってしまったが、

後から考えると軌道は左か正面に進んでいたかも知れない。

ただし、笹が密生していて、とても進める状態ではなかった。

 

ここに至って、急に水の流れる音が聞こえてきた。 川だ。

いよいよ渡河地点に近づいたか。

 

 

かすかに轍の残る細道を進むと、ついに川岸に到着!

・・・と思ったら、そこは窪地の縁だった。

南側に開けた円形の窪地の中央には、

南に向かって人工の水路が掘られており、今も水が流れているようだ。

湧き水でもあるのだろうか。

 

 

 

不思議に思いつつ振り返ると、そこに「水神」の石碑があった。

土台は新しそうだが、本体はかなり古そうだ。

銘を見ると、なんと「明治44年」とあるではないか。

そろそろ引き返すつもりでいたのだが、この石碑を見て気が変わった。

森林鉄道の探索とは全く関係ないが、

面白そうなので窪地の底まで降りてみることにした。

 

 

浅いながらも急な斜面を滑り落ちるように窪地の底まで降り、

民家一軒分くらいの平場の中を、イバラを避けつつ進むと、これがあった。

窪地の中央部に忽然と、切り石で組んだ暗渠の出口があったのだ。

これは何だろうか?

 

 

 

 

護岸を切り石で組んだ水路は一部が崩壊しており、既に現役ではない事が伺える。

ただ水が腐っていないので、わずかだが今でも水流はあるらしい。

 

あっ! そう言えばこの当たりには、かつて発電所があったんだ!

古地図に記号があった。 今思い出した!

これは水力発電所の跡地だったのだ。

 

[追記]
本宮電気が明治44年(1911)に完成させた横堀平発電所の跡であった

 

 

沢の音が近くに聞こえるので、そのまま窪地を横断して西へ進む。

すると、窪地を囲むように低い石垣があった。 全体が馬蹄形をしている。

上ってさらに進む。

 

 

 

 

 

さらにもう一段、やはり低い石垣があった。

内側のと比べると、ややラフな施工だ。

 

 

 

 

 

 

少し藪を漕いで、やっと川の岸に到着。 百日川と言うらしい。

橋の痕跡なんぞ、全くなかった。

橋台くらいあってもいいのになあ・・・。

こんな藪の奥にまで営林署の標識があるのを見つけて、少し笑ってしまった。

 

 

 

 

対岸は見上げるような高い斜面になっており、

一目でここが渡河地点ではないことを思い知らされる。

橋はどこに架かっていたのだろうか?

もっと下流か・・・。

 

 

 

 

沢沿いに下ってK地点にまで行くつもりだったのだが、

藪が深過ぎて進入は無理なようなので、引き返すことにした。

再び見通しの良い軌道跡を歩いて戻る。

暑くもなく寒くもなく、快適快適。

 

 

 

 

 

 

築堤の擁壁が結構な急傾斜なので観察してみたが、石垣ではなかった。

 

奥に私のクルマが見えてきた。

 

 

 

 

 


<K地点>

沢の下流まで迂回してきた。

藪が消え、築堤が鮮明に見える。

 

 

 

 

2005年8月の様子。

奥が駅方面。

 

 

 

 

 


貨車が置かれた軌道跡に再びやってきた。

貨車の奥には道床が続いているのだろうか。

行ってみよう。

 

[2007.03] 追記
道床はここではなく、もう少し西(画像左側)にかつてあった、とのこと。
(kiamifuさん情報)

 

 

前回の様子。

藪、草いきれ、マムシ・・・。

そりゃ退却するでしょ。

 

 

 

 


貨車の後ろはすぐ岩壁になっていて、

道床発見の期待はあっさり裏切られた。

百日川の右岸を軌道が通っていたとは考えられないから、

橋が架かっていたのはこの辺り以外考えられないのだが・・・。

 

[2007.03] 追記
もう少し上流には軌道跡があり、さらに上流に橋が架かっていた、とのこと。
(kiamifuさんからの情報)

 

対岸に移動して、先ほどの貨車を望む。

 

 

 

 

 

 

 

沢の右岸は護岸工事が成され、見るからに軌道とは無縁の地形だ。

 

(追記)

軌道はこの斜面の上を通ってたのかな?

仮にそうだとしても、激藪になってて進めそうにない。

 

 

 

かと言って、左岸にも道床を設けるような余裕はなく、

険しい地形が続いている。

 

 

 

 

 

 

う〜ん、判らん。

判らんから帰ろう。

あれ? 新しい発見は水路だけだったのか?

 

林鉄で発電所建設の資材を運んだか、

あるいは逆に、発電所建設用工事軌道を、林鉄に再利用したのかも知れん。

 

   ←前へもどる      この項終了

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 


  図書館にて「本宮町史3、10」を調べてみたが、この軌道に関する記述はなかった。
  ただ、発電所に関しては情報を得られたので、書き留めておく。

明治43年(1910)   本宮電気株式会社に発電所設置の認可が下りる
  明治44年(1911)   百日川支流・枝沢川の上流に横堀平発電所が開業
  大正10年(1921)   大滝根電気を併合し、柴原発電所を買収
  大正13年(1924)   杉田川上流に長久保発電所を設置 (木製水路管だった)
  大正14年(19245   柴原発電所を磐城電気に譲渡 (T11説もあり)
  大正15年(1926)   福島電燈と合併
  昭和13年(1938)   長久保発電所が土砂崩れにより埋没、閉鎖 (犠牲者発生)
  昭和14年(1939)   横堀平発電所を廃止 (発電機は岐阜の町営電力会社に売却
     

[2009.04]加筆

  ※ 大正13年に建てられた本宮電気(株)の社屋は「本宮町立歴史民俗資料館」として現存している。

 

 

 

 

 

[2007.03]