磐越西線・中山宿駅・スイッチバック1 (郡山市) 2005.04/2006.04 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
現役時から有名な場所で、廃止になってからですら他県からもマニアが訪れているようだ。
こういった有名物件は当サイトでは扱わない方針なのだが、なぜか年に何度かは寄ってしまう。
せっかくなので自分なりにまとめておこう、と思い立ち、書いてみることにした。
明治32年(1899) 磐越西線が山潟まで開通。中山宿駅が設置される。(当時は岩越鉄道)
昭和38年(1963) 直通不可能だったスイッチバックを直通可能(通過式)に改良。
昭和42年(1967) 電化が完了。断面の小さな隧道が多数廃止される。
平成09年(1997) 中山宿駅が西側に移設され、同時にスイッチバックも廃止される。
非通過式だった頃の構内配線の略図。
列車はZ型に進まざるを得なかった。
昭和38年(1963)、通過式に改良された結果、
黒線の途切れた部分が繋げられ、直通可能になった。
(実際には引き上げ線部分は新設された)
(全然アップにならなかった・・・)
すぐに旧中山宿駅への入り口がある。 これだ。
「駅前大通り」、とか小声で言ってみる。
現役の時から、こんな状態だった。
以前は小さな「中山宿駅→」という看板があった記憶がある。
「中山宿駅待合所」と書かれた駅舎があったが、
移転後すぐに撤去されてしまった。
このフェンスの右側にあった筈だが、
今では土台すら存在しない。
ちょうど455系が中山峠を上っていた。
本線とホームの高低差がよく判る。
枯れススキに覆われているは側線のホームである。
このホームは、だいぶ以前に廃されたようだ。
(おそらく通過式に改良時に廃止)
この急坂の途中に駅が設置されたわけだから、
蒸気機関車はさぞや辛かったと思われる。
ホームが切れた先にも、更に道床が続いており、
緩やかに右にカーブしている。
行ってみよう。
道床はそのまま宅地に入って行く。
現役時代のこの部分は藪だったような気がするが、
駅が廃されてから車が入れるように
整地したのだろうか。
どこまでレールが敷かれていたのか判らない。
イベント列車ではあったが、ここにD51が到着し、
バックで駅を出て行く様子を確かに私は見ていた。
当時の私は直通にしない理由が判らなかった。
そのD51が通ったレールは既に撤去され、
今では車の轍が刻まれている。
待合室は痕跡すら無くなっていた。
ホームの下に見えるのは、車庫に続く側線のレール。
その奥、上方に本線が通っている。
小さな橋が見えるので行ってみよう。
こんな小橋にもちゃんと名称が付いており、
「非人沢橋梁」とのペイントが確認された。
橋台がレンガ製であった。
桁が乗る部分だけが石製になっている。
明治の開通時のものだろうか。
よく残ったものだ。
側線上に建てられた保線作業車用の車庫。
その右上を本線が通る。
なぜかここだけ撤去されずに残っているのだ。
しかし、使われている様子は感じられない。
奥に見える山のずっと向こうに始発の郡山駅がある。
高低差は200mほどもあるのだ。
郡山〜会津若松という大都市間を繋ぐため、
長い編成の列車が停車する事を想定したのだろうか。
それとも、貨物列車も停車せざるを得なかった
非通貨式スイッチバックの名残だろうか。
(貨物列車は側線に入っていたのではないかと思うのだが)
この転轍機が再び動くことはあるのだろうか。