浪江森林鉄道8 (浪江町)   2007.09        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大堀(左下)の南側を通って水田の中を東進していた。

専用軌道だったのが災いして耕地化されてしまったのだろう、

と思っていたが、読者情報によると浪江中学校付近から

西は併用軌道だったとのこと。

この画像が撮影された昭和50年(1975)には消えている。

大堀小学校から東方には道床が残っている。

 

 

田園地帯をのんびり進んで行く。

 

合流点で汽笛を鳴らす機関車が目に浮かぶようだ。

 

 

 

 

起点の浪江駅付近。

この頃にはまだ貯木場や機関庫が残っていたが、

現在は何も残ってないとのことである。

 

 

 

 


中丸木線の取材ノート。

初回の探索にて既存の資料とは大きく異なることが判ったため、

二次、三次の探索は慎重に進めた。

怠惰な私にこんな事までさせるくらい、中丸木線は魅力的だった。

 

いつかは消えてしまうであろう木橋に逢うため、

また訪れたいと思う。

 


<廃線直前(昭和35年頃)の様子>  当サイト読者のnikoniko_racing様よりの情報に加筆

浪江中学校付近から西は車道と併用。上流の発電所までジープで行けた。(※浪江〜申瘤間の廃止はS34)

出来たばかりのインクラインも見に行った。(※延長された中丸木線のものと思われる)

その下には10軒ぐらいの作業員住宅があった。夫婦で住んいる家もあり、沢水を引いて自家発電もしていた。

ディーゼル機関車2両、ガソリンカー1両。葛尾か大堀の線路脇に機関車1両分程度の機関庫があった。

ディーゼルは灰色(加藤の4.5t?)と青色(2軸、協三?)があり、後者のほうがコンディションが良かった。

大型バイククラスの2気筒のエンジンで動く連絡用のガソリンカーがあり、当時は新車だった。

大人2人で前後を持ち上げ、車の重心点にジャッキを入れクルッと方向転換していた。

JRの保線区で使用する物に似ており、色は緑色。

<運用>

午前6時頃、荷物搬出請け負いのトロッコ(10両位、1名ブレーキ員乗車)が炭や木材を積んで下って来る。

午前8時頃、手押し(片足で蹴って)で帰って行く。

午前9時頃、営林署の機関車が10〜15両のトロッコを牽引して山に入り、

午後4時頃、木材を満載して帰って来る。(2、3両に1人ブレーキ員が乗車)

<要所で鳴らした警笛の音色>

ディーゼル機関車は「プー」、ガソリンカーは手回しのサイレンで「ウー」。

トンネル、橋、併用区間に入る手前や、視界が悪い時に鳴らしていた。

 


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