浪江森林鉄道7 (浪江町) 2007.06 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
浪江駅方面に向かう。
現在でも林業を営んでおられるようだ。
いつも丸太がごろごろと置いてある。
500mほど先に支線・中丸木線の分岐がある。
この奥に私を魅了して止まない「木橋の楽園」があるのだ。
本線全廃の一年前に浪江〜申瘤間が先に廃止され、
車道化されている。昭和34年(1959)のことであった。
この申瘤には大規模な中継土場が設けられ、
本支線から集まる木材をトラックへ積み替えていた。
今でも事業所や作業場の土台らしき遺構が、
林の中に散見される。 (5軒ほどの民家跡とのこと)[2007.09]追記
軌道時代から残る法面だと思われる。
さらに2kmほど進む。
浪江林鉄の支線はほとんど車道林道になったが、
ここだけは常にゲートが閉じている。
「トワ6」P216には平成8年(1996)に撮影された隧道が掲載されているが、
現在は開削され全く消えてしまっている。
奥のガードレールが右に張り出した付近にあったようだ。
延長12m 幅3.1m 高さ4.5m 昭和34年(1959)竣功で、
「北沢隧道」との名前であった事がわかる。
これは車道化工事の時期と一致する。
←マピオンには今も隧道の表記がある(2007.06.12現在)
さらに500mほど進むと大きな駐車場があり、
その奥に短い隧道が見えてくる。
[2005.01]
今年、駐車場内に木造のものが新設された。
狭い県道だが、観光道路として生かそうとしているようだ。
「一の宮隧道」とある。
延長21.8m 幅3.1m 高さ4.5m 昭和34年(1959)竣功
現在はセメントが吹き付けられている。
道がカーブしており、奥が見えない。
離合できない幅員なので、車はクラクションを鳴らしてから進入していた。
「第2号隧道」とあるのだ。
これは軌道時代の名前を踏襲したもので、
車道化に当たって新たに付けられたのが
「一の宮隧道」なのではなかろうか。
対向車が来る度に、どちらかがバックを強いられるのだが、
実はバス路線でもある・・・。
やがて支線・神鳴線の分岐がある。
平成19年(2007)、歌碑の脇にある駐車場が拡大された。
隧道の痕跡というわけでは無いようだ。
この光景はいかにも林鉄を思わせる。
路肩の白線が手前で切れている。
まさに「貫通」。
車道化、舗装済みの軌道跡とはいえ、
この光景は当時の様子を再現しているかのようだ。
内部はカーブしており、反対側の明かりが見えない。
坑門右側が張り出した、特殊な平面形をしている。
左側の隙間にちまちま詰め込まれた砕石が涙ぐましい。
延長32.3m 幅3.1m 高さ4.0m 昭和34年(1959)竣功
現道隧道の中で最も長く、また最も低い。
車道林道の隧道名であろう。
左側に離合ポイントが設置されている。
よく見れば「号」ではなく、古い「號」であった。
現在は廃止されているようで、水門や可動堰が撤去されている。
「全国森林鉄道」P47に、この付近で撮影された列車の画像が
掲載されている。
[2007.09]追記 (浪江森林鉄道沿線元住人様からの情報)
昭和45年(1970)頃、台風により破壊されて放棄。東北電力の管理と記憶。
全林野労組前橋地方本部が平成元年(1989)に発行した 「山にはたらく」という写真集にこの付近の写真があった。 酒井工作所製の5tボギー式機関車が 丸太を満載したトロッコを引いて山を下って行く。
[2009.02]追加 |
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文中の「鷹巣」とは、もっと東へ進んだこの辺りとのこと [2009.07]追加 | |
水田を見るのはどこの集落以来であろうか。
広い空が、長く狭い渓谷の圧迫感から開放してくれる。
この路線初めての二車線になり、小丸集落に入る。
小丸線への分岐は集落内に存在する。