浪江森林鉄道・焼築線(下部軌道) (浪江町)  2007.04     [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

昭和27年(1952)開通、昭和36年(1961)廃止。全長1.6km 「全国森林鉄道」にも「トワ6」にも記載されている。


2005年1月の焼築線入り口の様子。

車道化されているが、ゲートが閉まっており車では入れない。

対岸まで行って様子を見ただけで引き返す。

 

 

 

 

2005年3月の様子。

雪は解けたが、ゲートが開く様子はない。

 

 

 

 

 

              

2007年4月、車での進入は諦めた。

徒歩での探索に切り替える。

 

 

 

 

 

 

機関車も通っていた焼築線は車道化され、

現在は焼築林道となっている。

赤錆びた旧型標識の奥には、新型の標識もある。

 

 

 

 

 

すぐに高瀬川を渡る。

橋は営林署によって架け替えられ、

「安心橋」との名称になっている。

当時の名は「焼築第一号橋」だろうか。

 

 

 

 

橋を渡った所で振り返る。

分岐点には事業所があったが、今は民家が建っている。

橋桁の下流側には上流から取った水を民家に運ぶ

パイプが設置されている。

簡易水道ではなく、沢水そのままのようだ。

 

 

 

川を渡るといきなり急坂になる。

ここを機関車が上り下りしていたわけか。

 

 

 

 

 

 

切り通しが残るカーブを進む。

路肩には送水管。

 

 

 

 

 

 

車道化されたとは言え、当時の雰囲気は十分伝わってくる。

よくこんな所に線路を通したものだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

どう見ても片桟橋なのだが営林署的には「橋」のようで、

しかも「焼築橋」というド真ん中の名前が付いていた。

当時は木製だったと思われる。

 

 

 

 

 

乱雑に積み上げられた路肩の擁壁。

隙間から生えた木の太さから考えて・・・・。

いつ頃の施工だろうか?(笑

 

 

 

 

 

この路線にも金属製の距離標があった。

でも、もう驚かないからな。

鉄道仕様の距離標は数多く見てきた。

 

 

 

 

 

ただ、焼築林道のものは凝った作りになっており、

支柱に直接書き込まずに、薄いプレートが貼ってある。

フォントもプラスチック製の距離標のものと似ている。

 

 

 

 

 

荒れ気味の林道を進むと、

やがて法面のずっと上の方に石垣が見えてくる。

上部軌道の擁壁か、あるいはウィンチの土台だろうか。

どうやらこの付近がインクラインらしい。

 

 

 

この法面に沿って100mに及ぶインクラインがあるはずだが、

いくら探しても瓦礫の斜面しか見当たらない。

ここまで徹底的に破壊するとも思えないことから、

インクラインは土砂崩れにより埋没、と判断した。

 

 

 


全林野労働組合前橋地方本部から出版された「山にはたらく」(1989)に、

焼築森林鉄道のインクライン」と題する一葉の写真がある。

「昭和28年頃」とあるから開通した翌年だ。

 

 

 

 

どうもしっくり来ないので左右反転してみたら落ち着いた。

石積みの築堤、複線、上方には退避線、レールの間にあるローラー。

そして小さな台車に満載された原木の山。

荷下ろしがいかに危険な作業であったか良く判る。

 

残念ながらウインチ部分が写っていない。

 

 

 

 


法面の遥か上に見える石垣に接近すべく、

ガレた斜面に取り付き上り始める。

途中で台車を揚げ降ろししていたと思われる

ワイヤーを何本か見つけた。

 

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