原町森林鉄道・新田川線3 (原町市〜飯舘村) 2005.04  [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

手前には石積みの擁壁。その奥に小さな切り通し。

路肩に残された「片割れ」が、いかにも実用一点張りの

林鉄らしくて印象的だ。

 

 

 

 

 

 

 

流れのない急な沢に橋が架かる。

橋台がやたら長く、橋桁が極端に短いので、

ほとんど暗渠と変わりない。

現在は木製の歩道橋が架けられている。

 

 

 

                     

ここも手前を水のない沢が横切っている。

しかし流れ出た土砂が沢と道床を埋め尽くし、

僅かに板製の桟橋が顔を覗かせる。

その先には、長い切り通しが待ち受ける。

 

 

 

 

切り通しの内部。

ゴツゴツとした法面は現役当時も同じであろう。

狭い岩の回廊を通過して行く。

至福の時。 同時にうっすら恐怖も感じる。

 

「第三切り通し」

 

 

現役当時は沢を跨ぐ暗渠があったのだろうが、

暗渠が砂防ダムと化しており、

その「ダム」から土砂が溢れ出している。

踏み跡もあり、最低限の管理も感じられるが、

一般人の通行は前提にしてないのではないか。

暗渠の前後にある標識は読み取り不能であった。

 

 

この光景を、どう書けば伝わるのだろうか。

文章力のなさが口惜しい。

崩落箇所には鉄パイプと合板で簡易な桟橋が架けられている。

その先の垂直の岩壁は、人工的なものであろう。

昭和初期にこんなことを、こんな山奥でやっていたのだ。

危険を忘れて見惚れてしまう。

 

(歩き始めて20分経過)

 

 

岩壁の下にはへつり道が通っている。

確認はしていないが、石積みの擁壁が

支えているのであろう。

路肩の構造物は林鉄時代からあったのか、

廃止後に増設されたのか、判然としない。

どうも「鉄」っぽさを感じられないのだ。

(ご意見ください)

 

沢を跨いで暗渠が通る。

この暗渠はまだ「生きている」。

 

 

 

 

 

 

暗渠の先は路肩が石垣ごと崩落しており、

鉄パイプと合板で桟橋が設置されている。

 

 

 

 

 

 

良く見ると桟橋は鋼材や丸太など、

いろいろな材料で構成されていた。

度重なる補修の結果なのか、

当初からこんな雑然としていたのかは不明だ。

そしてその先には、また切り通しがある。

 

 

 

落石や倒木、落ち葉で埋もれ気味の切り通しを進む。

歩き始めて25分。

いくつもの沢を越え、切り通しもこれで四つ目だ。

う〜ん、面白くてたまらない。

 

「第四切り通し」

 

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