高倉鉱山専用鉄道 (原町市)  2007.08      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  <鉱山鉄道として利用された新田川線>

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

明治40年頃   鉄鉱石が発見される    
大正初期   袋詰めにした鉱石をバッカメキに運び、磐梯町の大寺精錬所(磐梯町)に送っていた    
    第一次大戦終結と共に休山    
昭和12年(1937)   高倉鉱業が設立    
昭和14年(1939)   採掘再開。手押軌道にて比曽川沿いの森林軌道に接続    
昭和24年(1949)   北海電気興業が鉱山を買収    
    森林軌道も買収し、手押軌道を廃止して索道を設置する    
昭和26年(1951)   東邦電化に改称。この頃、主力が鉄から銅に変わる。銅鉱石は日立の精錬所に送った   →日本電工→新日本電工
昭和29年(1954)   一時、日本製鉄系の日鉄鉱業が試掘したが撤退   (郡山市日和田に工場あり)
    東邦電化による採掘再開。原町駅までの軌道を売却、トラック輸送に変更   軌道を買ったのはどこ?
昭和31年(1956)   鉱山部門が分離独立して東邦鉱発となる (「福島県鉱産誌」より)   東邦鉱発高ノ倉鉱業所で争議あり
昭和33年(1958)   休山 (「福島県鉱産誌」より)    
昭和35年(1960)   閉山    
   

「飯館村史」より

   

 


この付近の橋が比較的新しく、

しかも鉄橋に架け替えられているのは、

S24に林鉄を買収した鉱山会社によるものなのかも知れない。

 

 

 

 

1運行で銅鉱25トン、鉄鉱35トンを運び、

取木沢〜原町駅間18.4kmのうち、専用線は15.4kmあった。

 

「飯舘村史」では「ガソリン軌道」と表現されている。

 

 

 

 

 

 

土場跡ではないかと思われたこの施設も、

実は石神鉱山の関連施設だった可能性がある。

 

 

 

 

 

斜面の上方には鉱山施設が眠っているのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

第三隧道がコンクリート巻きになったり、

その東側にあった第二隧道が開削され、切り通しにされたのもこの時期かも知れない。

 

なお、蕎麦角発電所は新田川林鉄の起工(昭和4年(1929))

より前の大正3年(1914)に開業している。

どのような手段で資材を運搬したのだろうか。

北岸にも古い軌道跡があると言う話もあるのだが・・・。

[2009.02]追記 やまちゃん氏に感謝

 


   
  当サイト読者のやまちゃん氏から、高倉鉱山跡を探索した際の写真をご投稿頂きましたので掲載します。
  時期は2008〜09年である。 
   
鉱山鉄道の終点は、取木沢が新田川と合流する辺りにあった。 
索道で下ろされた鉱石を、ここでトロッコに積み替えていたようだ。 
インクラインの跡が、今でも法面に刻まれて残っている。 
   
ホッパーの跡だろうか。 
   
構内軌道のレールも残存。 
   
搬器がワイヤーごと落ちている。 
  [2016.06]追記 

 

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