勿来軌道1 (いわき市勿来町)   2005.02        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

以前「旧国道289号線」としてレポートしたが、その後「常磐地方の鉄道」により鉄道由来であることが判明。
さらに「常磐地方の鉱山鉄道」により詳細が判明したので、新たに勿来軌道として再構築したものである。 
[2007.01]

  明治39年(1906) 石城採炭が勿来駅〜出蔵坑間に軌道を敷設。(黄線) 延長5.05km 軌間610mm 馬力
  <勿来軌道>  
  明治42年(1909)  勿来駅〜白米間開業(赤線) 一部石城採炭線と併走。 延長4.56km 軌間762mm 馬力
    川部の石炭輸送、窪田集落と郊外にできた駅間の旅客輸送が目的であった
  明治43年(1910) 災害により遅れていた小川までが開業。総延長6.02km
  大正8年(1919) 貨物輸送がピークを記録する
  昭和4年(1929) 不況やバスとの競合に敗れ、一時営業を休止
  昭和6年(1931) 石炭輸送のみで営業再開
  昭和10年(1935) 窪田〜小川間を休止 (「常磐地方の鉄道」P138)
  昭和11年(1936) 地元からの要望により石炭輸送を休止 (路上に運鉱専用軌道は不要とのこと)
  昭和12年(1937) 白米〜小川間を廃止 (「常磐地方の鉱山鉄道」P131)
  昭和14年(1939) レールを撤去。翌年、正式に廃止
   

出典 小宅幸一著 「常磐地方の鉱山鉄道」


赤線が勿来軌道。

6箇所の停車場があった。

その後、国道289号線に昇格している。

 

黄線は同時期に石城採炭が敷設した

馬車軌道のルート。

こちらは運鉱のみであった。

廃止時の所有者は大日本炭鉱で、

改軌やルート変更を経ながら

昭和42年(1967)まで続いた。

 

 

  当初は全線併用軌道の計画であったが、白山〜小川間の里道(緑の点線)が急峻な上、拡幅も困難であることと、
  里道の南方で新坑が発見されたことにより、この区間は新規開削することになった。


<隧道A>

以前からあった隧道を拡幅したのか、

あるいは軌道敷設の際に新しく開削されたのだろうか。

 

 

 

 

現在は切り崩され、深い切り通しになっている。

車道化にあたり、道床の掘り下げも行われたかも知れない。

馬力では辛い急坂だったと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

切り通しを抜けたところで振り返る。   

見通しの悪いカーブになっているが、

自動車の通行などに配慮しなくても良い時代だったので

これでも不都合な事などなかったのであろう。

 

 

 

 

すぐに分岐がある。

左が軌道の併設を諦めた道で、

右が新規に軌道専用として開削された道床跡である。

軌道跡はその後国道289号線に昇格した。

 

 

 

<隧道B>

分岐の先の坂を上った所にも隧道があった。

ここも切り崩されて切り通しになっている。

 

 

 

 

隧道跡を振り返る。

馬が貨車や客車を曳いて歩いた軌道の跡だ。

 

 

 

 

 


<おまけ>

併用軌道の敷設を諦めた区間の現状。

当時、舗装道を横断する細道が気になったのだが、

実はこれも別の運鉱軌道の道床であることが後に判った。

大日本炭鉱東海鉱第二坑専用軌道、とのこと。

 

 

なるほど、これじゃ拡幅は大変だ。

勾配もかなりきつい。

 

 

 

 

 

峠付近の隧道は消失し舗装もされたが、幅員や勾配は当時のままのようだ。

今も崩落が進行する未施工の法面と、滑らかな舗装面のギャップに萌える。

 

 

 

 

 

 

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