猪苗代森林鉄道 (曽原〜剣ヶ峰2) 2004.05 [TOP] [寄り道] [廃線Web] [プロローグ]
赤が本線、ピンクが支線。
実線は車道、あるいは遊歩道。
点線は未転用。
ここで平行していた舗装道と分かれる。
まだ築堤は続いている。
それにしても真っ直ぐである。
♪線路は続くーよー、どーこまでもー、っと。
快適に草の道を進む。
山奥でもない、このような平地で、
しかも「裏磐梯」という観光地でここまで残ったのは、
官有地として管理されていたからだろうか。
久しぶりに人の声が聞こえてきた。
低い切り通しに入る。
右に見える標柱を目印に進む。
どうやらペンション村に入ったようだ。
奥に舗装道が横切っているのが見える。
軌道跡は沼地になり、水芭蕉が咲いていた。
ペンションの補修工事をしているらしい
大工さん達の「どこから来た?何してる?」
という好奇の視線が痛い。
こんなに残っているとは全く予想していなかった。
嬉しい誤算である。
軽自動車なら通れそうだもの。
築堤らしき緑色の道を進む。
草刈りされているからこそ進入可能なのだろうが、
遊歩道と言うわけでもなく、奥に農地もない。
その割りに管理が行き届いているのはなぜ?
国民休暇村で見つけて以来、
ずっと気になっていた赤い標柱がここにもある。
画面中央、やや右だ。
じっくり見てみることにした。
「左96」という連番が振ってある。
う〜ん、やはりこの標柱は軌道跡に沿って
設置されていると見て良いのではないか。
だとすると、かなり楽チンな探索になりそうだ。
興味半減とも言える。
この築堤はかなり高い。
前方にまた「あれ」が見えてきた。
青い水道管だ。
川をだいぶ高い位置で越えている。
かなり大きな橋台の上に立っているようだ。
軌道跡はコイツの管理道になっていたのだ。
苔や藪に覆われて、自然に一体化しつつある。
しかし、はっきりと石垣が確認できる。
保存状態も良いようだ。
この築堤の高さは2mを越えている。
この川は渡渉できないので迂回する。
下流の相生橋を渡る。
(その前に車に戻りました。被害なし)
この川の名前だが、下流に架かっていた相生橋には「桧原川」との銘板があったと記憶している。
相生橋は狭かったため近年架け替えられのだが、新橋には「長瀬川」とあった。
Web上には「桧原川(今の長瀬川)」との表現も見られた。また「桧原川は俗称で正確には長瀬川」
との表記もあった。「長瀬川の上流を桧原川と呼ぶ」という説も見かけた。