< 猪苗代森林鉄道 > 2004.05 [TOP] [寄り道] [廃線Web] [目次]
< プロローグ > [2006.08修正]
吾妻山系の豊富な森林資源を、磐越西線・猪苗代駅に運搬する為に設置された森林鉄道である。
大正9年(1920)に起工したが、竣工は5年後の大正14年(1925)である。難工事であったことが伺える。
苦労の末に完成した路線であるが、昭和10年(1935)には併用軌道だった南半分が廃止され、昭和24年(1949)には
軌道による木材運搬が終了し、順次レールが撤去された。稼働期間わずか29年であった・・・。
なお、機関車が入線したのは昭和10年(1935)からで、それまでは馬力だった。
以前風景写真撮影の為、幾度となく裏磐梯を訪問していた頃、点在する遺構に気が付いてはいた。
一部は遊歩道に姿を変え「現役」であったが、全体像は全く掴めずにいたし、なにしろ当時は興味がなかった。
今回、探索対象として事前に机上調査をしたのだが、WEB上にはほとんど資料が無く、古い地形図は大雑把だし、
航空写真を見ても軌道跡はほとんど消えているように見えた。
「点」として残存する遺構を紹介する、あっさりした内容になりそうだなぁ・・・・テンション上がらないまま取材開始。
しかし、いざ取材を始めてみると「ほとんど消えている」どころか「線」としてかなり残っていることに驚かされた。
「掘れば掘るほど出てくる」状態に陥り、バッテリーが切れ予備に交換、さらにメモリー容量が無くなり、削除しながら撮影、
ついには日没のため撮影不能になり無念の帰宅、まさかの再取材・・・・全くもってうれしい誤算であった。
申し訳ないのだが実は全体像は未だ掴み切っていない。私が取材できたのはほんの一部でしかないのだが、
その部分だけでも公開する事は意義があると考え、ここに公開する。 また後に続く方々にも大いに期待している。
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デコ平から北 > | ● | ● | ● | ● | 掲載日 |
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デコ平〜ヤケノママ | 1 2 ・・・ | 2006.08 加筆・修正 | |||||||
< 支線 > |
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デコ平から南 > | ||||||||
01 | デコ平〜不動滝 | 1 2 3 | 2006.08 加筆・修正 | →不動沢線 | 2006.09.02 | ||||
02 | 不動滝〜小野川林道 | 1 2 | 2006.08 加筆 | ||||||
03 | 小野川湖北岸・前編 | 1 2 ・・・ | 2006.08 加筆 | →小冷水沢線 | 2006.09.06 | ||||
04 | 小野川湖北岸・後編 | 1 2 3 | 2006.09 地図添付 | ||||||
05 | 曽原〜剣ヶ峰 | 1 2 3 4 5 | 2006.09 統合・加筆 | →大沢線 →曽原線 | 2006.09.19/20 | ||||
06 | 蛇平〜五色沼 | 1 2 3 | 2006.09 加筆・修正 | 2007.01.08 | |||||
07 | 五色沼〜磐惣温泉 | 1 ・・・ | 2006.09 削除 | 2007.01 | |||||
08 | 川上温泉 | 1 | 2005.10 加筆・修正 | ||||||
09 | 猪苗代町内 | 1 2 | 2006.09 地図添付 |
しかし各支線や山中の事業所まで記された地図は珍しい。
「磐梯山噴火 百周年記念誌」より引用
[2009.03]追加
大正15年(1926) | 小野川官行事業所(第一官行) 設置 | ||
昭和5年(1930) | 曽原官行事業所(第二官行) 設置 | ||
昭和10年(1935) | 猪苗代簡易製材所 設置 | ||
昭和23年(1948) | 中津川官行事業所 設置 | ||
昭和42年(1967) | 桧原製品事業所 設置 | ||
< 追加情報 >
・「I LOVE 裏磐梯」に現役当時の写真がありました。 TOP>記念誌「裏磐梯」 (削除された模様 2006.08)
・同じく「I LOVE 裏磐梯」に「木材搬出用のトロッコ道だった」との記述があった。 TOP>探勝路>小野川湖畔探勝路
・「裏磐梯ビジターセンター」に「木材搬出用のトロッコの軌道敷き」との記述があり、
「細い沢を渡る石積みの橋、河原に散らばる枕木など、トロッコ道の名残を味わうこともできる」とあった。
・「ばんだい2000」に、橋台、枕木以外に「ミズナラの古木に取り付けられ、そのまま木肌に埋まりかけている
電話線に使われたらしい碍子」との記述があった。 TOP>磐梯トレッキングシャトルバス>みどころ
・「トワイライトゾ〜ン MANUAL 6」では、「磐梯山森林鉄道」として掲載されている。(2005.02)
・「トワイライトゾ〜ン
MANUAL 9」では、「猪苗代森林鉄道」と訂正されている。(2005.09)
よって当サイトでもこの名称に変更する。さらに多数の支線があることも判明。本線と支線を混同し、
そのため想像した路線に誤りがあることも判ったので、随時加筆修正を実施して行く予定。
再探索も検討している。