猪苗代森林鉄道 (五色沼〜磐惣温泉1) 2006.11 [TOP] [寄り道] [廃線Web] [プロローグ]
前回訪れた2004年5月の時点では、
藪に阻まれ探索できなかった箇所に進入すべく、
久しぶりに訪れてみた。
これが2004年5月の同地点である。
これも2004年5月の下の画像と同じ場所。
前回は気が付かなかったが、この道は舗装道からは
低い位置にあり、軌道跡とは思えない勾配で坂を下る事になる。
と右側の法面上を見上げると、
そこにははっきりとした段差が見られた。
あれはあれでちょっと位置が高すぎる気がするが、
あちらが本来の道床なのかも知れない。
前後を目で追ってみたが、深い潅木に覆われており
進入は難しそうだった。
更に進むと、上下の道の差がなくなる。
いつの間にか合流したらしい。
前回、藪に拒まれ進入を諦めた辺りもこの辺だ。
今回は除草されており、さらに奥へと進むことができる。
どうやら電線の管理道としての保守らしい。
しかし、これを軌道跡と断定する遺構は見られない。
どうも直進方向が怪しい。
築堤状になっているように見えるのだが・・・。
自然石を積んだ、2mほどの高さがある築堤であった。
文献に「あるらしい」と書いてあった、石垣の築堤がこれだろう。
想像していたよりは短かったが、なかなか大規模な遺構である。
右側には相変わらず電柱が続いているが、
これまでより非常に歩き辛くなる。
結構いろいろな遺構が残ってますねえ。
磐梯山が明治21年(1888)に噴火した時の土石流の痕跡であろう。
当時の惨状が伺える。
こんな状態の荒地を貫き、大正期に鉄道を敷いたのだ。
先人の苦労に思いを馳せながら通過する。
デコボコの荒地である。
これが裏磐梯の原風景なのかも知れない。
林業に活路を見出す以外なかったのも無理はない。
奥に何やら建物が見える。
こんな所に人家があるのか?
どうやら温泉を汲み上げる為のポンプ小屋らしい。
おそらくこれは、現在は廃業している磐惣温泉
の設備だったに違いない。
反対側にはポンプの本体が見られた。
足場が崩れて傾いてしまっている。
日当たりが良いせいか、あるいは管理されてないせいか、
一気に藪が濃くなる。 これはもう進めない。
しかし、十分に満足して帰路につく事ができた。
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