国道252号線・旧道2 (三島町)   2004.10   [TOP]  [寄り道]  [廃道Web]

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  農作業中の古老は、手を休めて語った。「川井新道は三島通庸が造った」と。

   険しい山道に車道は作れず、かと言って明治初期の技術では長大なトンネルの掘削は難しい。
  当然、逃げ道は只見川沿いしかない。

  「川が削った垂直の断崖に新道を通そう。」
  こんな事を考え付き、また実行に移してしまう人物は一人しかいない。
  土木県令こと、三島通庸だ。 この道もまたヤツの仕業だったのだ。

さて、どこからどこまでを「川井新道」と

言うのだろうか。

まずは東側からアプローチしてみよう。

K252のスノーシェッド内に桧原への分岐がある。

分岐を振り返って撮影する。

右上に原谷トンネルから出てきた只見線の

鉄橋が見える。

 

桧原へ向って進むと、跨線橋の下をくぐる。

先ほど見えた只見線である。

 

 

 

 

                     

やがて桧原の集落に入る。

 

 

 

 

 

 

 

集落内に残る標識二本。

メインルートだった頃の名残りだが、

ここが国道だったことはあったのだろうか。

どなたかご教授を。

 

 

 

ちなみに上図の十字路を南に折れても

R252に接続する。

R252に至るこの2連続ヘアピンの道も

なかなか凶悪で、「三島道」くさい。

舗装道右側に見える細道が、

実は江戸期の道だ、という点を見ても

明治初期の発想を思わせるのだ。

 

そのまま直進すると、すぐに集落は途切れる。

急に暗く、湿った雰囲気に変わり、

「廃」な空気を発散している。

気を引き締めて進む。

 

 

 

しっかりと轍が付いている。

いったい誰が、何の目的でここを通行するのだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

左側に見られる石積みの法面。

明治期の施工だろうか。

この仕様の法面が見られたのは、

ここだけであった。

 

 

 

 

少し進んで振り返って撮影。

右端に法面があるところから、

元は2車線あったと想像される。

画面右半分の藪も、元は車道だったのだ。

後年の改修により、明治の馬車道が

拡幅されたのであろう。

 

 

進行方向を見ると、

そこに「通行止」の標識がある。

上記の想像通りなら、この標識は

元センターライン上にあることになる。

つまり、この標識は一車線化してから

建てられたことになる。

 

 

その後、どれ程の年月が経過したのか。

塗装は剥げ落ち、色褪せ、

錆びも進行している。

「通行止」の文字も消えかかっている。

 

 

 

 

さらに進むと、比較的新しい標識がある。

 

 

 

 

 

 

 

旧道、廃道でよくみられる、

ゴミの不法投棄禁止を訴えるものだ。

キリコちゃん曰く、「ゴミをすてないで!」

彼女の訴えも空しく、

一帯は粗大ゴミだらけであった。

 

 

 

ついに現れたガードレール。

旧国道ではないかも知れないが、

一般的な車道であったことは間違いない。

何せ、トンネルが開通する前は、

みんなここを普通に通っていたのだ。

 

 

 

色付き始めた広葉樹の奥に見えるのは、

JR只見線の只見川第一橋梁である。

非常に近くに見える。

 

 

 

 

錆び付いたガードロープの支柱。

ワイヤーも緩んだままだ。

 

 

 

 

 

 

ガードレールが激しく変形している。

落石によるものか、積雪によるものか。

 

 

 

 

 

 

ここで車の轍が消え、行き止まりになる。

そして路肩に古い標識が現れる。

見たことないぞ。なんだろう?

 

 

 

 

 

この附近転落多い注意
「転落」って車ごとか!?
「転落」って只見川にか!?
・・・・・多いのか!?

じょ、じょ、上等だぜえぇぇ・・・(涙目

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