国道252号線・旧道8 (三島町) 2004.11 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
欄干だ! つまり橋だ!
ついにあの幻の橋に到達した!
崩れ去ることなく存在していた。
「みしま宿」に展示されたあの写真の橋だ。
路面に厚く腐葉土が積もっているのであろう。
落石も多数散乱している。
歩いていて、これは頑丈な橋であると体感できる。
全く危険性を感じない。
鉄骨で組まれた近代的な橋のようだ。
しかも正確には「橋」ではなく「桟橋」だ。
断崖と桟橋の間に隙間があるが、
当然現役時にはなかったと思われる。
山側には川も渓流もなく、垂直の断崖があるだけだ。
落石防護ネットがズタズタに千切れている。
これでは期待された「明治の馬車道」は存在し得ない。
川井新道の竣功時には木製の桟橋だったのだろうか。
川側には樹木が成長していないため視界が利く。
左が「尾瀬街道みしま宿」
右が歳時記橋である。
あちらからも、この桟橋が見えるはずだな。
藪が濃く、橋の全体形は撮影できない。
残念だ。
ちなみにdarkさんは、この辺りから下に降りて
見上げるように桟橋を撮影したという・・・・。
その発想自体がTUKAには及びも付かないことである。
もしかしたら、街道Webはとんでもないサイトと
相互リンクしているのかも知れない。
底知れぬ「dark的道部屋」のチカラ・・・・恐るべし!
旧道などに良く見られる施工だ。
ただ、決定的に異なるのは、
コンクリートが厚く苔に覆われていることだ。
かなり古いものだが、
視覚的に恐怖を感じるには十分なオブジェだ。
この辺りから、藪で進行が困難になってくる。
進行も可能なのではないか。
そう考えて山側に進路を求めてみる。
長靴がズボっと足首まで沈む。
湧水の影響か、路肩は沼状になっていた。
構わず先に進む。足が重い。
念願だった橋に到達したこともあり、
「無理に進むこともない」と判断し、
これで撤収することにした。
遥か彼方に、川井側から進入した際に到達した
大崩落面が見える。
「検証場所」ほど進んでいない可能性があるな。
[2007.07] 追加
会津三方道路の開削に刺激され、沼田街道の改修もやや遅れて始まった。
この区間は難所であったが明治24年(1891)開通し、「川井新道」と呼ばれた。
脆い岩質のため、絶えず落石がある危険な区間であったが昭和11年(1936)、ここにシェッドが設置された。
写真を見ると木製のアーケードのようなもので、落石避け、雪避けの効果が期待されたが、
完成後間もなく、落石により破壊されてしまった。
この危険な道は、昭和46年(1971)にトンネルが開通するまで使われ続けた。
「三島町史」「目でみる明治・大正・昭和の会津(上)」より。
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