白河石材運搬専用軌道2 (白河市〜西郷村)   2006.05        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 


米村集落の西側に至り、再び軌道跡が姿を現す。

右に分岐する細道がそれで、併用軌道、

あるいは細道の左側に軌道があったと思われる。

 

 

 

 

細道を進む。

松の古木の下には「戦死供養塔」があった。

白河は戊辰戦争の激戦地としての顔も持つ。

 

 

 

 

 

 

              

すぐ先に分岐がある。

どちらも似たような道で、1/50000の地形図では確定しにくいのだが、

どうやら左が軌道跡らしい。

 

 

 

 

 

左右どちらに進んでも見た目の差は無い。

すぐ先でバイパス道と交差するが、そこで道は途切れてしまう。

 

 

 

 

[2005.02]

 

そのバイパス道から西を望む。

軌道跡は水田になってしまっていた。

奥に見える神社の前を通っていた筈なので行ってみる。

 

 

 

 

鳥居の前から西へ続く道が残っていた。

小山と水田の間を回りこむように進む。

 

 

 

 

 

 

すぐに暗い針葉樹林の中に入る。

現在は作業道に転用されているが、当時は併用軌道だったようだ。

(画像は振り返って見たところ)

 

 

 

 

 

これは2005年2月の同地点。

白河石が点々と並んでいるのはガードレール代わりだろう。

 

 

 

 

 

 

針葉樹林を抜けた所で振り返る。

 

 

 

 

 

 

 

ここから北の道に入ると、

この沿線で唯一現役で稼働中の石切り場に至る。

他は「跡地」ばかりになってしまった。

 

 

 

 

石切り場前から水田の中を更に西へ進み、

再び針葉樹林に入ってゆく。

 

 

 

 

 

 

水田と山の間をくねくねと進む。

 

 

 

 

 

 

 

石切り場跡と放置された石材。

軌道は、いくつかの石切り場を巡回するように通っていた。

 

 

 

 

 

 

すぐ先で、地図に未掲載の新しい道に出会う。

軌道は右の砂利道である。

作業道と化した軌道跡も、ここだけ高規格なのが

おかしい。

 

 

 

 

そこから暫らくは、相変わらず変化に乏しい光景が続く。

 

 

 

 

 

 

 

途中に物置に転用された廃車があった。

道との境界には白河石が並べられていた。

端材はいくらでもあるので、使い放題ということか。

 

 

 

 

 

やがて平地がなくなり、山に吸収されてゆく。

軌道はここを直進し、耕地を横断して

正面の森に達していた。

 

 

 

 

 

左奥の森が石材軌道の起点だった。

行ってみたが、単なる藪の平場に過ぎなかった。

正面に見える小山が石切り場だったのだろうか。

 

 

 

 

 

起点付近から振り返る。

これといった遺構は見つけられなかったが、

またひとつ埋もれた歴史を掘り起こすことができた、

と満足している。 

更なる詳細な調査は、皆様に託す事とする。

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