東北本線・釈迦堂川橋梁1 (須賀川市) 2005.02    [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

JR須賀川駅の南に釈迦堂川が流れている。

ここに、東北本線が単線だった時代の鉄橋の遺構がある、

という情報を読者様よりいただいた。

(ネタが枯渇していただけに、非常に助かりました>かっつる様)

 

早速、机上調査を開始。

航空写真を見ると、確かに本線の東側に

旧線の築堤があるようだ。

現在はどうなっているのだろうか。

 

さて、アプローチだ。

川の南側はすぐ脇をR4が通っているが、

現役のJR線を横断するのは避けたい。

東側の住宅地から接近するしかあるまい。

北側は東西に車道が通っているので、

ここから接近できそうだ。

ではまず、北側から行ってみよう。

 

 

 

 

  [北側の探索]          

由来は不明だが、地元の人が「市右衛門道路」と呼ぶ

市道を西進する。

線路に近づくと道路は地下へ潜るのだが、

以前は画像右側に道路が通っており、

その先は踏切りになっていた。

 

  昭和31年(1956) 下り貨物列車とトラックが市右衛門道路の踏切り内にて衝突する事故が発生
   昭和32年(1957) 上り貨物列車とトラックが市右衛門道路の踏切り内にて衝突する事故が発生
   昭和35年(1960) 鏡石〜須賀川間が複線化
   昭和41年(1966) 踏切りを地下道に変更。現在の状態になる。 
(「須賀川市史」より)

地下道の切り通しへ入って行く。

西川架道橋」とのペイントが見える。

頭上を単線時代の線路が通っていたわけだが、

それを感じさせるものは無い。

 

都合よく階段が設置されているな・・・。

(゚д゚≡゚д゚)   ( ̄ー ̄)

 

藪に覆われた旧線の築堤を南下する。

すぐに橋台上に到達するはずなのだが、

灌木と藪で接近できない。

築堤から降り、やや東に移動すると

対岸の様子が見えてくる。

 

 

 

更に東へ移動し、土手を下る。

右に見えるのが本線のガーダー橋。

その左側に旧線の橋台が見える。

そして手前には、橋脚の土台が三つ、

短いスパンで残存している。

 

 

 

更にその東、下流にも橋台が一つ見られる。

コイツの正体は今の所、全く不明だ。

[2006.03 追記]
宮城県在住の「
So What?」様より、情報を頂きました。
「勾配改良で放棄の旧々線のモノ」とのことで、
「本区間は、大正9年8月に10‰に勾配改良された区間であるが、
須賀川構内の南部に半径300mの急曲線が残っていた。
工事は、鏡石構内より上り線腹付け線増として始まり、
211K500M付近にて右側に移り、
元勾配改良により、生じた旧路盤を盤下げし、下り線とし、
213K800M付近よりR=300mをR=500mに、
曲線改良するために上下線別線としての、
複線路盤により須賀川構内に取付けている」
だそうです。(「東北本線黒磯・青森間線増工事誌」より引用)

 

対岸ばかり見ていたが、

こちら側にも橋台が現存している。

橋台上は、ご覧のような惨状だ。

 

 

 

 

 

さすが国鉄の幹線の橋台だ。

120年経過しても全く破綻が見られない。

廃線後50年近く手入れされていなにも拘らず、だ。

まあ、現役の橋があるくらいだから、驚くには値しないか。

 

 

 

 

 

 

国道4号線の車道橋からも見てみる。

複線となった現・釈迦堂川橋梁。

その橋脚の奥に、旧線の橋脚跡が二つ。

その奥に謎の橋脚跡も見えている。

 

 

 

車道橋から南方を望むと、

本線の奥に旧線の築堤が見える。

旧線の方がカーブが緩やかだったようだ。

 

これから、あちら側に行ってみよう。

 

 

 

あ、そうだ。思い出した。

比較的新しい地図に、国道橋とJR橋の間にも橋が

描かれてあるのだが、この橋にも心当たりがない。

現地に行って確認するつもりだったのだ。

で下を見ると、なにやら怪しげなコンクリ痕が・・・。

橋脚の遺構だろうか?

 

 

 

 

と言うわけで、この辺りはやたらと橋が多いのだ。

新旧5本もの橋がここに集中している。

こんなの初めてだ。

 

 

 

 

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