昭和電工貨物専用線1 (河東町) 2005.08 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
磐越西線・東長原駅。
ここから昭和電工の工場に入る専用線がある。
専用線一覧表(S58)によると、
作業キロ
1.6km
総延長キロ 3.0km とある。
工場敷地東側にある日橋川発電所は、この工場の為に
建設されたらしい。 [1911年(明治44年)竣功]
(当時は日本化学工業・会津工場)
その広大な工場の東南端に専用線の終点がある。
駅付近を拡大する。
小さな無人駅にもかかわらず、やたらと線路が多い。
当初は操車場かと思っていたが、両端が切れている。
西側には築堤が複数あるが、これも切れている。
これってスイッチバックじゃないのか?
しかも切り返しの数が一回や二回じゃない!
鉄道素人の私でも「これはタダモノでは無い」と思うわけだ。
黄色は磐越西線・本線。島状ホームを挟んで上り、下りがある。
東の郡山方面から来た列車は南の側線に入り[1]まで達する。
([1]の更に西奥は複雑になっているが、これは後述する)
その後、バックで川岸ギリギリの[2]まで戻り、
(本線と[2]の間にも貨車が停車中の側線が一本見える。
これはなんだろう?)
坂を上って[3]に入り、県道の直前で停止する。
([1]と[2]は本線と同一平面上にあるので、直接[3]に入っても
良いように思うのだが?)
更にバックで坂を上り、川岸の[4]まで行くと、やっと工場と
同じ高さに達する。 前進して県道を跨線橋で渡って[5]に至り、
その後、南に入ってやっと工場の倉庫に達していたようだ。
なんと5回も切り返していた!ひょえー!
前方に踏切りが見えてくる。(長谷地踏切)
右の好物件は空也原公民館。
何の標識もないが、ここを左折すると
前方より対向車が来ているが、
この地点で通過待ちしなければならない。
車での進入が躊躇われますな。
もちろん、コンビニなんぞありません。
ホーム右の草むら、その奥の築堤、
さらにその上の段。
あれが全て線路の路盤で、しかも一本に
繋がっているわけだ。すげー。
[3]から[4]に上る路盤は樹木の覆われ
確認が困難であった。
上図の足元にキロポストがあった。
なんと「起点」とある。
東長原停車場線なんて聞いたことがないが、
かつては存在したのかも知れない。
藪と化したスイッチバックの専用線が見える。
[2]〜[3]間の勾配に注目して欲しい。
途中までではあるが、[1]〜[2]間のレールが
残存していた。
[4]付近の路盤が非常に高い所にあるのが
お判りいただけよう。
台地を開削して切り通しとし、その底に駅を設置したようだ。
それにしても長く、深い切り通しだ。
右奥のススキに覆われている地点が
[2]であろう。
左に見える上り線から左に分岐して
すぐに切れている側線は何だろうか?
追記
ねじれ庭さんより「脱線ポイントでは」との投稿を頂きました。
線路を横断する道が描かれているが、
激藪で進入不能であった。
本線から左に専用線が分岐し、
踏切りを過ぎた先が[1]である。
この分岐は磐西線が単線だった時代の専用線の
名残りだろうか?
謎が多いなー。 って私が無知なだけですね(汗
踏切りから西側部分を探索することにするか。
sunnypandaさんの「ROADweb」内「東長原駅」を見ると、
手前のフェンスは一年前にはない。
土を盛っただけの築堤状のホームだ。
[2005.10
追記]
昭和電工の前身は日本電気工業といい、当時800人いた従業員の大半は隣の広田駅で下車し、そこから徒歩で通勤していた。
そのため積雪量が多いときや吹雪の時は欠勤者が多く発生し、生産性が著しく低下した。
そこで会社側は、鉄道省に駅を設置するよう何度も要請したが実現しなかった。
結局、駅の建設費用を全額会社側が負担する「請願駅」という形で昭和15年12月、東長原駅は完成した。
当地のご出身で現在は東京在住の二瓶敏雄様よりご提供頂いた。
右が工場に上る専用線で、その奥にあるのが機関車の車庫とのこと。
撮影年月は不明。 (複線化工事・昭和30年代の終わり頃か)