昭和電工貨物専用線2 (河東町)  2005.08    [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

「気動車の車庫」ではなく、日本通運の事務所、倉庫、住宅、とのこと。

[2009.06]追記

 

 

県道踏切りから東側は複雑奇怪だ。

少なくとも3つの築堤と、4本の路線があるように見える。

なぜこのような状態になったのか全く不明だ。

この大規模鉄道遺構にはどのような成立過程が

あったのだろうか。 新旧入り乱れている。

北から二番目にだけレールがあるようだ。

他は藪に覆われている。

 

 

  [第一築堤]

再び長谷地踏切北側に戻る。

踏切りに進入して行く。

 

 

 

 

 

最も手前を通るのが本線。

その奥にももう一本レールが見えるが、

右に進むと[1]に至る専用線だ。

踏切りの奥にも、その奥にもいろいろと見えているが、

それは後に回す。

 

 

 

 

              

踏切りから東の駅方面を見る。

足元のレールが専用線。

3.5」の勾配標が見える。

ちょっと進んでみよう。

 

 

 

 

専用線のレールがまだ残っていた。

除草などの管理が成されている模様。

 

 

 

 

 

 

 

 

振り返ると先ほどの勾配標がある。

その表示はなんと「25」!

この先、25‰の急坂があるのだ。

会津盆地への下りである。

画面左端にチラッとコンクリートが見えているが。

 

 

 

それは詰所と思われる建物の土台のようだ。

現在は草に覆われた平地があるだけだ。

奥に第三築堤が見える。

 

 

 

 

 

踏切り西側にもレールが残っていた。

こちらはやや藪が濃い。

[1]に向って進んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

専用線は築堤になっており、

進むに従い本線より比高を増して行く。

日橋川よりポンプアップされた水が、

レールのすぐ下を勢い良く流れている。

 

 

 

 

すぐに藪が濃くなり、進行不能になった。

終点はどうなっているのか。

第一築堤への分岐はあるのか。

解明はできなかった。

左に第二築堤が壁のように迫る。

こうして見ると、第二築堤は第三築堤から
分岐していたのかも知れない。
比高があり過ぎる。

 

踏切まで戻り、南方を見る。

手前に石積みの擁壁がある。

この上が[3]と思われる。

良く見ると橋台の片割れっぽいが、

「対岸」には詰所があるんだよなー。

先程の築堤も絡んで、複雑な歴史があるような

気がする。

 

擁壁の先には跨道橋の橋台が残っていた。

橋桁の代わりに水道管が通っている。

この右奥が[5]になる。

橋台は黄と黒にペイントされ、

左に「左右の安全を確かめて」

右には「人も車も必ずとまり」とあった。

この標語は裏面にもあるという念の入れようだ。

 

その裏面に回り込む。

うむ。 確かにこれは橋台じゃわい。

しかし水道管を渡すくらいなら、

橋桁をそのまま残しても良かったのになあ、

などと無いものねだりをしてみる。

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