昭和電工貨物専用線3 (河東町)   2005.08   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  [第二、第三築堤]

跨道橋の南で県道は東に折れるが、

私は築堤が伸びる西に向う。

 

 

 

 

 

 

そこで見た光景がこれだ。

第三築堤の全景が見て取れる。

どうやら最近、トラックの待機場として整地され、

その際、専用線の築堤も若干削られたようだ。

旧状は失われたが、藪も刈り払われた為、

築堤上に進入可能になった。

では上ってみよう。

 

築堤に上ると、まずは東に進んで

跨道橋の所に行ってみた。

なぜか対岸の工場側の方も刈り払いされていた。

 

 

 

 

              

第三築堤を西へ進む。

「刈り払い」というよりブルが削ったようで、

路面がかなり荒々しい。

地面からは陶器片や古レンガなどが露出していた。

産廃処分場の様相である。

 

 

 

北側を見ると、一段下に第二築堤、

遥か下に磐越西線が見える。

 

 

 

 

 

 

上の画像に見える車道から見た図がこれ。

スイッチバックの上の段、さらに上の段が見える。

第二築堤と第三築堤である。

あれ? 上から見るより低い感じだな・・・。

 

 

 

 

暫く進むと身長ほどの段差が現れる。

線路に段差? ありえない。

どうやら下の段は第二築堤のようだ。

工事のため、ブルの通り道になってしまった。

スロープ状の段差を下る。

(あれれ? このブルはどこから入ってきたのだ?)

 

 

第二築堤を西へ進む。

道床を横切るこれはなんだろうか?

信号のケーブルでも通す配管か?

 

 

 

 

 

第二築堤は見晴らしが良い。

ずっと西へ伸びる道床。

さらに本線までも眼下に見える。

 

 

 

 

 

第二築堤から北側を見ると、おおッ!

すぐ下に第一築堤の先端があった。

葛が密生しているようで、この状態では

徒歩での接近は辛かろう。

 

 

 

 

同地点を西側から見る。

こんもりした第一築堤の先端が印象的だ。

貨車が通っていた、と想像するのが難しい。

 

 

 

 

 

やがて第二築堤の先端に達する。

しかしこの画像だけ見ると、実につまらん絵やねぇ・・・。

 

 

 

 

 

 

最先端より本線を見下ろす。

一応、下に通じる階段はあるが、

ここまでで引き返すことにする。

 

 

 

 

 

 

 

第二築堤の先端より東側を望む。

一段上、奥に小さく見えるのが第三築堤。

左の「こんもり」が第一築堤。

ずっと左下には本線が通っている。

 

これにて専用線のスイッチバック西側部分の

探索は終了である。

 

  [2006.02 追記]  以前、地元にお住まいだった「河東宝山さん」より貴重な情報を頂きました。

  『東長原で1948年から1965年まで、子供時代のほとんどをすごしたものです。
   スイッチバックのところを小さな蒸気機関車が走っていたのはよく覚えています。
   著者の方が当惑されている西側部分は石炭ガラの捨て場です。少しづつ北からずらして3本ばかり丘ができていたように思います。
   昔、社宅街の東南端に立派な倉庫があり、「軽便」の機関車がはいっていたところだと教わっていました。
   東長原駅ができる前は、広田駅との間に軽便鉄道が走り、物資や製品を運んだようです。人も乗せたかどうかは定かではありません』

 

  [ちなみに、工場内部]

稼働中の工場内には入れない。

見学許可が下りるかどうかは不明。

工場西側に沿った県道から覗き見ると、

工場内の専用線跡は舗装道化しているようだ。

敷地内には古いレンガの建物が

数棟確認できる。

近代化遺産として保存されてるらしい。

 

地図を見ながらこの辺りに車を止めて、

並木の間から藪の中に頭を突っ込んでみる。

あまり人には見られたくない姿だな・・・。

余りにも不審過ぎる。

 

 

 

 

挙動不審人物が撮った画像がこれ。

専用線跡は草に覆われ、

貨物ホームにも長く人が入った様子はない。

線路跡には物置も建っていた。

 

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  [近隣の注目施設]

昭和電工の為に建設された日橋川発電所

明治44年(1911)の竣功だが、

建物は建て替えられたらしく、

平凡な外観になってしまった。

 ←この辺りから遠望す

 

 

 

切立橋で有名な猪苗代第四発電所用の

取水口が3kmも離れたこんな所にあった。

石積みの重厚な造りである。

すぐ右にある導水隧道に、大量の水が

流れ込んでいた。

3kmのほとんどが地下である。大正15年(1926)完成!