磐越西線・旧線2 (磐梯町)   2005.06        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

現在の地形図にも見られる遺構

 

 

 

 

 

 

旧線のルート

 

 

 

(←これだけ別窓で開きます)

 

 

 

C地点

この切り通しは夏場以外であれば

今でも通行可能であるそうだが、

この時期はダメだ。

左へ伸びる作業道へと迂回する。

 

 

迂回道を進みつつ、旧線の方向を見ると

畑の奥が切り通しになっているのが見える。

通過はできなかったが、上から覗いて見よう。

 

 

 

 

 

 

 

おおー。

垂直に近い法面は5〜6mほどか。

その下に道床があるはずだが、

はっきりと目視できない。

法面は素掘りだろうか?

だとしたら林鉄みたいだな。

 

              

作業道の終点にはコンクリートの小屋がある。

用水路から水を汲み上げるポンプ小屋であった。

ここを降りて行く。

 

 

 

 

 

D地点

ポンプ小屋の北側に水路が通っている。

この水路に小さい橋が架かっているが、

実は旧線のライン上に位置しているのだ。

 

[2005.10] 追記
布藤堰・新水路 流れているのは猪苗代湖の水だ

 

 

進入を断念した切り通し途中に

この橋が架かっていることが判る。

現在では藪と化したこの切り通しも、

以前は作業道として利用されていたようだ。

幅1m、全長1m程のこの橋は人道橋だろうか?

 

 

D地点から西を望む。

用水路が真っ直ぐ伸びているが、

軌道は右の斜面の下を通っていた。

まだ切り通しが続いているのだ。

ちなみに、水路のフタは廃枕木であった。

 

 

 

切り通しを抜けると、やや視界が回復してくる。

(実はまた迂回している)

ここも以前は車道だったのか、うっすらと轍が残る。

 

 

 

 

 

 

 

その先の沢に小さな橋が架かっている。

これも廃枕木のようだ。

横に回り込んで詳しく観察してみる。

 

 

 

 

切り石積みの橋台が見える。

橋桁こそ廃レールと枕木を再利用した

簡素なものだが、橋台は当時のものであろう。

この旧線では希少な遺構である。

 

[2005.10] 追記
布藤堰・旧水路 (改修を重ね、今でも現役)
(1706年、会津藩主・蒲生氏郷により建設された)

 

橋の先の廃線跡を進む。

橋の直前まで鮮明な轍がある。

ここまでは車が入ってくるようだ。

 

 

 

 

 

 

 

軌道跡を車道が横断している。

ここには踏切りがあったのだろうか?

それともこの車道の開通は廃線後か?

 

ここから先は藪が濃くなり、進行不能になる。

この車道を利用して迂回する。

 

 

迂回して旧線から離れて見ると、

巨大な築堤になっていることが判る。

なるほど、これほどの規模ならば、

廃線とはいえ地図上、無視することは

できないであろう。

右が磐梯町駅方面である。

 

 

築堤に沿って作業道があるので、

これを利用して進む。

しかしこれでは全くつまらないので、

藪の薄い箇所を探して築堤上に上ってみる。

 

 

 

 

築堤上の道床は、樹木に覆われつつあった。

再利用法なんて思い付かないもんなー。

今では田畑を南北に分断する厄介な壁でしかない。

 

 

 

 

 

E地点

藪を掻き分けて磐梯町駅方面に進むが、

すぐに進入不能になる。

築堤上に植えられた針葉樹は

防雪林の役割を果たしているのだろうか。

左側遠方に新線を走る列車が見える。

 

 

またしても迂回し、新線の築堤上から

翁島駅方面を振り返る。

奥に見える鉄塔付近が、新旧合流点だと

思われる。

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