住友大阪セメント専用線5 (田村市大越町) 2005.05 [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

前回のレポで「用途不明」とした、

この跨線橋が気になっていた。

地図を見ると、工場の敷地内に入る事なく、

外側を一周しているように見える。

唯一、この橋だけが敷地とクロスする

部分のようなのだ。

 

                     

更に詳細に跨線橋を観察すると、

「立入禁止」の看板は、橋を渡る者に対して

向いていることが判る。

そして橋の前後の砂利道には、

真新しい轍が付いてる。

「一般の車が通れるのではないか?」

と考えたのである。

 

  <再び現地へ>

跨線橋はベルトコンベアのすぐ東を通っている。

南からの入り口は判らなかったので、

工場の西から接近し、北側を回って

接近を試みることにした。

勿論、徒歩ではなく車で、である。

 

 

 

工場敷地を囲むフェンスに沿って車を走らせると、

意外なほどあっけなく工場の東側に入れた。

 

山の採掘場から石灰石を運ぶベルトコンベアの

終点がここである。

 

 

 

巨大な廃墟から目が離せない。

 

 

 

 

 

 

 

真っ直ぐ南へと伸びるベルトコンベア。

再び動き出す日は来ないのだろうか。

 

 

 

 

 

 

だいぶ低くなってきた。

よく見ると「通行止」って書いてあるな。

扉の中に入るな、との意味か?

 

 

 

 

 

で、これが前回レポでも紹介した

ベルトコンベア切断部分の近景。

 

 

 

 

 

 

引き込み線の切り通し越しに対岸を見ると

かつてベルトコンベアが通っていたであろう

痕跡が見られた。

後ほど行ってみよう。

 

 

 

 

ベルトコンベア切断部分のすぐ先に

問題の跨線橋が架かっている。

ついに車での切り通し越えに成功す!

 

まあ、地元の人は普通に通っているわけだが・・・。

 

 

 

橋の中程に車を進めて撮影。

(すでにレポから離れて、完全に記念撮影になっている)

だって嬉しいんだもん。 子供だね。

 

 

 

 

 

橋の上からは切り通しがよく観察できる。

急傾斜の深い切り通しの様子がよく判る。

ここを長い貨車の列が出入りしていたわけだ。

 

 

 

 

 

切り通しの終点に見える「マッチ棒の山」は

全て撤去された枕木である。

 

 

 

 

 

 

橋を渡り、切り通しの反対側に移る。

切断面が正面伊見える。

 

 

 

 

 

 

振り返ればそこには、ベルトコンベアの通り道だけが

林の中の空間として残っていた。

土手を登ってみる。

 

 

 

 

 

 

 

コンベア道は単に森を切り開いただけでなく、

浅い切り通しになっていた。

コンベアの支柱や土台のような遺構はなく、

草に覆われた土の道になっていた。

奥が明るい。 進んでみる。

 

 

 

水田の裏の丘の上に出た。

集落を跨いで奥に見える丘にも

同様の「道」が見える。

コンベアは民家の軒先を通っていたのだろうか?

騒音や粉塵などの害はなかったのだろうか?

 

 

 

さて帰ろう、と振り返った所で足が止まった。

切り通しの向こうにベルトコンベアのタワーが

そびえ立っていたのだ。

現役時代には得られない「廃」な光景を

しばらく見ていた。

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