好間炭鉱専用鉄道3 (いわき市好間) 2007.01/02       [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  [全線地図]

 

好間川橋梁 52mm

 

 

 

 

 


[I地点]

常磐道の西側まで迂回。線路跡は車道になっているが、

道床を再利用したものではないらしい。

高架橋の向こうに見える竹薮が先ほどの線路跡。

この辺りから右端に見える発電所に向けて

引き込み線が分岐していたが痕跡はない。

 

高架付近から鉱山方面を望む。

 

 

 

 

 

 

 

その先の線路跡は墓地へのアクセス道になっており、

やがて道床は墓地になってしまう。

 

 

 

 

 

 

墓地側から駅方面を振り返る。

微妙な曲線を描いているのが判る。

 

 

 

 

 

 

墓地の奥は手付かずの藪になっており、

道床は全く見えない。

迂回する。

 

 

 

 

 

その先は一軒の民家の私道と化しており、進入は諦めた。

車道より線路跡を望む。

車が並んで停まっているのが道床である。

 

 

 

 

 

[J地点]

民家を迂回すると、奥にかつての炭鉱街が見えてくる。

集落の南側を通るこの細道が線路跡である。

現在の管理者は誰なのだろうか。

 

 

 

山と民家の間に沿った細道を進む。

一部、簡易舗装が成されている。

さらに直進。

 

 

 

 

 

やがて北側に車道が見えてくる。

右側の家並みは炭鉱時代は商店街だった。

 

 

 

 

 

 

同じ場所を車道側から見る。

専用鉄道は一段高い所を通っていた。

 

 

 

 

 

 

すぐ先で車道との高低差がなくなる。

明治41年(1908)までの馬車軌道時代は左の車道に

レールが設置され、平駅(現いわき駅)まで石炭を運んでいた。

併用軌道だったため痕跡はない。

 

 

 

 

同じ場所から鉱山方面を見る。

左の草地が線路跡である。

車道が右に逸れて行くが、この辺りでレールがいくつにも分岐し、

それぞれホッパーやら何やらに続いていた。

 

 

 

 

広大なヤード跡は荒んでいた。

廃材や廃土、不法投棄ゴミが散在し、

その中にぽつぽつと木造の民家が点在している。

奥に見える高台の平場に選鉱場があった。

 

 

 

 

山に沿って進むと、斜面上にコンクリートの遺構を見つけた。

ホッパーの土台部分だろうか。

 

 

 

 

 

 

[K地点]

線路終端の選鉱場があった付近は治山工事が施され、

厳重な土留めが成されていた。

 

 

 

 

選鉱場の跡地にできたゲートボール場からヤードを見下ろす。

現在は古河系の「いわき興産」が管理する「駐車場」との

ことであったが、その範囲は不明だ。

右が駅方面で、奥には常磐道の高架が見える。

 

 

 

 

選鉱場跡から西の山肌を見ると、そこには坑口の跡があった。

接近して2つの坑口が並んでいる。

 

 

 

 

 

 

コンクリートで密封され、銘板も外された坑口。

おそらく斜坑であろう。

現在内部がどうなっているのか、ちょっと気になるところだ。

 

 

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  古河鉱業(株)   足尾銅山を中心に古河財閥を成す。足尾鉱毒の原因企業でもあった。
      銅山の払い下げに当たり、旧相馬藩主の相馬氏が名義を貸し、資金援助した。
       
  古河機械金属(株)   財閥解体後のグループ中心企業。古河グループには、
      古河電工、横浜ゴム、富士通、日本軽金属、朝日生命などがある。