安積疏水の利水4 (郡山市)   2004.05/2007.08      [TOP]  [寄り道]  [発電所]

 

<丸守発電所>

竹之内発電所の放水口のやや下流に堰堤があり、

この右岸に設置された水門から取水している。

ここから、開渠>隧道>日沢川左岸の沈砂池>

日沢川の水も流入>水路橋>隧道>水路橋・・・、

と延々と流れて行く。

 


山々を貫いた湖水は水圧鉄管を経て、丸守発電所に至る。

そしてここには大正10年(1921)に建設されたレンガの建屋が現存している。 

近代土木遺産・ランクC。

 

桜の季節に訪れることができた。 [2006.04]

磐梯熱海温泉観光協会では観光コースに選定している。

 

赤いレンガは深緑にも映えますな。

右下に放水口が見える。

 

完成当時は「大峯発電所」と呼ばれていたが、

昭和17年に日本発送電に統合された際に、「丸守発電所」と改称されて現在に至る。

[2009.06]追記

 

 

最後に一番いいアングルから一枚。

この時代のレンガ建造物に共通する秀麗なデザインは

見飽きることがない。

 

 

 

 

 

[2016.04]追記

久し振りに訪問してみたら、建屋に変化があった。

お気づきだろうか?

社名と発電所名が消されていたのだ。

土木遺産として現状を回復しようとしたのか、

あるいは隠したい"なにか"があったのだろうか。

 

 


<熱海頭首口>

その下流には大きな堰堤があり、

大量に貯水されているが、これより先に発電所はなく、

やっと本来の農業用水としての安積疏水が復活する。

 

 

 

上の画像にも見えているが、これは何だろうか?

橋脚のようにも見えるが、古い分水路かも知れない

 

 

 

 

 

 

  この橋脚に関して、読者様からの情報を頂きました。  [2010.07]
  ・戦時中に軍が架設した橋の遺構である(戦後に桁を撤去した)。
  ・その奥では地下工場を建設していたが、未完成のまま敗戦。
  ・その工場では薬品(一説では化学兵器)を作る予定だったと言われている。
  ・一部機材が搬入されたが、戦後に運び出された。
  ・戦後も坑口が開いたままになっていたので自由に入れたが、内部は水没していた。
  ・公式な情報は皆無に近く、不明な点が多い。
   

熱海頭首口から取り入れられた水は、ここに姿を現す。

この後、旅館ビル群の玄関先を横切って流れて行く。

 

 

 

 

 

 

温泉街を抜けた後、国道に沿ってしばらく東進するが、

ここで疏水は五百川と立体交差する。

 

 

 

 

 

下路アーチの鉄橋で五百川を越える。

農業用水の他、飲料水にも使用されており、

まさに郡山市の生命線である。

 

 

 

 

 

初代の水路橋は石橋であったが、漏水が酷いため従来の水路を諦め、

その上に鉄管を乗せて水を通す改修が成された。

鉄管には「安積疏水鉄樋」と大きく書かれている。

 

左端に見える坑門もいい感じだが、

アーチ橋共々今は存在しない。

保存する意思はあったが、違法とされたと言う。

 

 

 

水路橋の西側にはモニュメントが設置されている。

 

 

 

 

 

石橋の中央に埋め込まれていた扁額が外され、

ここに保存されている。

上の古写真にも小さく写っているもので、

右から「疏水橋」と刻まれている。 ように見える。

 

 

 

 

水路橋を渡り、山を貫いた水はここに出る。

多少藪を漕いで辿り着いたのだが、

たいしたご褒美は得られなかった。

実用性一辺倒のシンプルな坑門であった。

 

[2005.04]

 

安積平野に入って最初の分水路だと思うのだが、

水門には「第4号分水工局」とあった。

新安積疏水になってから変わったのかな?

右が本流で、左が分水路。

 

 

 


安積疏水の末端に近い所にある「麓山の飛瀑」

疏水完成を記念して造られたこの滝がある麓山公園では、

明治15年(1882)に通水記念式典が行われ、政府からは

岩倉具視右大臣の他、大蔵卿、農商務卿、宮内卿、

そして「あの」三島通庸福島県令も出席していた。

 

 

三穂田町大谷にあるサイホン式水路

水田より高いところを水が流れている。

昭和35年頃に造られたもので、もちろん現役である。

[2007.09]

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  古写真は「土木学会付属・土木図書館」様より転載させて頂きました(使用許諾済)