夏井川の利水2 (いわき市) 2007.06 [TOP] [寄り道] [土木遺産] [発電所]
<夏井川>
阿武隈山地の最高峰・大滝根山に源を発し、
いわき市北部を流れて太平洋に注ぐ。
鹿又川発電所のすぐ東側に夏井川第二発電所の堰堤がある。
この堰堤は近代土木遺産Cランクに認定されている。
水門の左に取水口があり、しばらくは川沿いに流れているが、
やがて地下に潜ってしまう。
発電所は4kmも下流にある。
ここは昭和10年(1935)、崩れた土砂に乗り上げた列車が
脱線転覆事故を起こした場所であった。
何両かは夏井川にまで転落し、12名の死者を出している。
近くの慰霊碑に合掌して先へ進む。
あの先に発電所があるに違いないが、県道からは見えない。
しかも木々に隠れていて気が付きにくい位置にあった。
コンクリー製の古風な建物が見える。
接近してみよう。
昭和43年(1968)竣功の「栄橋」とあった。
対岸に発電所と高圧水管が見える。
その上に大正期のコンクリート建屋が載っている。
「古い発電所」のイメージを具現化したような外観だ。
こちらは堰堤と違い、特に文化財などに指定されてはいない。
素人目には、こちらの方が遥かに萌える。
すぐ下流に第一発電所用の堰堤が見える。
第二の堰堤と似たような構造のよう見えるが、
こちらは特に指定はない。
日立製作所や日産自動車の前身である久原鉱業の
創始者・久原房之助が、茨城県にある日立鉱山への
電力供給を目的として、「個人で」建設している。
その後第二発電所も完成し、常磐地方の各炭鉱にも
電力を供給していた。
昭和2年(1927)には日立電力を設立し電気事業を独立させた。
発電所のすぐ脇を磐越東線が通っているが、
磐東線自体は非電化路線である。
昭和39年(1964)竣功の霜月橋とのこと。
人が歩いただけでかなり揺れたが、車も通れる橋である。
渡った先には軽トラックがいた。
発電所の上屋としてコンクリートが使用された例としては
初期のものにあたる。
そのせいか近代土木遺産では最高ランクのAに認定されている。
なぜかここだけは入ることができた。
水圧鉄管に接近する。
やや下流に第三発電所の堰堤があり、左岸に取水口がある。
第三発電所は右岸にあるので、夏井川を越える水管橋があるはず
なのだが、その事実に気が付いたのは帰宅後のことであった。
シパーイ
「高崎桟道橋」という。
只見線ほどではないが、凄い所に鉄道を通したものだ。
対岸へは吊り橋で渡っていたようだが、
その橋も現在は導水管専用になり、
代わって木橋が架けられている。
白い壁、赤い屋根はまだしも、この表面処理は頂けない。
改装により、まるでペンションのような外観になってしまった。
なんか気持ち悪い。
こうなると木橋までもわざとらしく見えてくるな。
ここも川前発電所同様、一本だけであった。
上部に見えるのはサージタンクであろう。
少し下流に塩田発電所の堰堤がある。
取水口以外にも、多数の水門があるようだ。
もっと詳しく観察すべきであったか。
塩田発電所はある。
これも文化財に指定されてはいないが、
夏井川水系の発電所の中では最も美しいデザインだと思う。
側面にかつて送電線を通した痕跡が見られる。
社章らしき痕跡が見られたが、ここも埋められていた。
控えめな装飾がいい感じだ。
県道から国道399号線に入り、しばらく進むと
道路脇に古風な水門が見えてくる。
小川江(おがわえ)、通称小川江筋の取水口である。
小川江の歴史は古く、江戸時代初期、内藤氏磐城平藩により
1633年に起工、32年後の1665年に完成したとされている(藩史)
水路延長、約30km。今から350年余も前のことである。
なお、由緒書には1651年起工、1654年完成とある。
低い堰堤が斜めに設置され、水流や魚にも優しい設計になっており、
その堰堤の最下流部に水門を設置するという、
江戸時代の土木技術に感心する。
現在の水門は明治40年(1907)の改修の際に設置されたもので、
その後も改良を加えられて今でも現役である。
近代土木遺産Bランクに認定されている。
用水路に導く優れた設計になっている。
きっちり隙間なく組まれた緻密な仕事ぶりにまた感心。
現在も約1200haの水田を潤し、一部は水道水としても
利用されている。
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