福島市の石橋(4) 柴切田川橋 (福島市飯野町)   2005.06      [TOP]  [寄り道]  [橋梁Web]

「日本の廃道」第51号に投稿した記事に加筆・修正を加えたものです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

   
  きっかけは「飯野町史」で見た口絵写真である。
  そこには小さな石橋の写真と、「明治10年代初 眼鏡橋 (青木 木戸脇)」とのキャプションがあった。
  明治時代の石橋が現存するのであれば是非とも見てみたい。
  しかしキャプション以外には何の説明もなく、位置を示す地図もない。 こんなスタートであった。
   
  木戸脇とは伊達郡旧青木村にあるいち小集落である。
  昭和30年(1955)、青木村は飯野町と合併し、その飯野町も一昨年の平成20年(2008)に福島市に編入された。
  そんなわけで、ORJ35、36、37号と連載させて頂いた「福島市の石橋」シリーズの続編とした。
  まあ、続編かどうかなんてどうでもいいことであるが、実はどうでもいいことでもないらしいことが後ほど判明する。

 
   
  「Yahoo!地図」によると、木戸脇とはこのエリア辺りらしい。
  細い道が入り組んでおり、さらにバイパス道らしき太い道が交差していて複雑になっている。
  周辺にいくつかの橋があるようだが、これらの内のどれが石橋なのだろうか?
  取りあえず、最も可能性を感じる赤丸を目指し、ハズレだったら順次、黄色丸を巡ってみようと計画して出発した。
 

第一の目的地を赤丸印と絞ったものの、

なかなかそこに辿り着けずにウロウロしてしまった。

そして、ここがズバリ正解であった。

この道の先を川が横切り、そこに石橋が架かっている。

 

 

 

 

石橋を視認する前からその存在を確信できたのは、

ここに説明板があったからである。

これほど優遇されているとは意外であった。

 

 

 

 

 

「広表のめがね橋」とあった。

この説明板によって河川名が柴切田川と判明したので、

無名橋に勝手に柴切田川橋と命名させて頂いた。

 

こんな立派な説明板が6年も前からあるにもかかわらず、

この石橋に関する記述がネット上に全くない、という日陰の橋である。

 

   
  広表のめがね橋
  所在地 飯野町大字青木字広表地内
   
  広表から立子山に行く道路は、明治時代初期に郡道として建設されました。
  柴切田川に架かる橋は、城郭の石積みをした石職人が四角の石をアーチ状に組み、
  上からの土圧に耐えられるように造ったもので、めがねのようにみえることから、
  地元ではめがね橋を呼んでいます。この地域では大変珍しい橋です。
   
  平成16年12月  飯野町教育委員会
   

   
   
観察するのもなかなか大変で、

ガードレールを乗り越えて、平均台のように狭くて高い畦道を歩かねばならない。

これは南側、川の下流に当たる。

きれいな真円のアーチ、頂部に要石。

その上部の仕様は布積みと言うのだろうか。

上端には隧道のような笠石があるのが特徴的である。

翼壁の石垣も当時のものであろう。こちらは乱れ積みである。

   
続いて北側。 こちらは様相が一変している。 

アーチと要石はそのままだが、その他の部分が南側と全然違う。

アーチ上部からその両側に至るまでが全て谷積みになっていて、

デザイン性では遥かに単調である。

どうやら、後年改修されてしまったようだ。

この原因をnagajisさんに伺ったところ、

「上からの圧力により布積み部分が崩壊、または"孕み"が発生し、

孕みに強い谷積みに改修したのではないか」、とのことだった。

   

   
  さて、福島県で「明治の石橋」というと、信夫橋松川橋が挙げられるが、これらはいずれも国道に架設されたものである。
  明治初期という予算がない時代に、こんな田舎道(失礼!)に、どうしてこんな石橋が建設されたのだろうか。
   
  説明板には「この道路は郡道として建設された」とある。
  ---------- 郡道。
  オブローダーにとっては、なんとも芳しい響きのある言葉である。
  明治のことであるから、おそらくこれは郡費支弁里道のことであろう。
  これは、里道の中でも重要路線として、郡から補助金が出た道を指す。
  説明板が言う「郡道」のルートが気になって調べてみた。
   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   
  明治時代に発行された「伊達郡村誌」「青木村」の項に、この石橋のことが載っていた。
  「新橋道エ石橋ヲ架ス。幅一間、長三間。俗眼鏡橋トイフ」
  この「新橋道」というのが、郡道のことであろう。
  石橋の仕様は幅員1.8m 全長5.5m。
  現在の幅員はもっとあるので、前述した修復の際にでも拡幅されたのかも知れない。
  (橋北側の石垣が坑門、翼壁と連続しているのは、この拡幅工事の際、同時に改修されたからか)
   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

   
  ページをめくるとルートの記載があった。
  「新橋街道 : 西飯野村字瀧山ノ逢隈川エ新橋ヲ架ス。川股飯野ヨリ信夫郡松川ヲ経、安達郡二本松エノ街道ナリ」
  翻訳すると「飯野町明治字滝山の阿武隈川へ新橋を架けた。川俣、飯野より松川を経て、二本松への街道である」となる。
  (西飯野村は隣の飯野村と合併したが後に解消し、分村して明治村となった)
  さらに「長二十町 道幅一丈 馬踏八尺」とある。
  20町=約2.2kmだが、これは青木村内における全長のことだろうか? だいたい石橋〜逢隈橋間くらいの距離である。
  馬踏とは築堤断面の上辺のことであるから、道幅1丈=10尺=約3mは下辺を示すのであろう。
  よって街道の幅員は8尺=2.4mだったことがわかる。
   
  「新橋街道」とは、橋が架けられたことで新たに誕生した街道を意味するのだろう。
  ここで言う新橋とは、明治8年(1875)に架けられた逢隈橋(おおくま)のことで、長さ31間、幅2間の木橋であった。
  逢隈橋の架設によって相馬街道は換線されて新橋街道ルートになり、同時に鮎滝渡船場は廃止された。
   

   
 
  逢隈橋以西のルートは不明のため、ここでは県道51号の旧道を描いた。
   
 
 

「国土地理院」より引用・加工


 

鮎滝渡船場

今でも船着場へ続く石畳が残り、川岸の岩には舟を繋いだ穴が見られる。

国指定史跡。

 

 

 

 

 

渡船場から上蓬莱橋を仰ぐ

渡船場のすぐ上流に、昭和56年(1981)作られた。

このような深い渓谷ゆえ、近年までここに架橋されることはなく、

渡船場を廃止に追いやった逢隈橋が架けられたのも、ずっと離れた上流であった。

 

手前の岩が船着場跡。

 

 

逢隈橋

換線のきっかけとなった逢隈橋は明治8年(1875)に架けられたが、

木橋だったため増水の度に壊れた。

この写真は明治34年(1901)に架け直された2代目で、

石積み橋脚2基の上に主塔がある、木製トラスの吊り橋であった。

大正時代には乗合馬車がこの橋を渡って松川〜川俣間を定期運行したが、

国鉄川俣線の開通により廃止された。

「伊達郡今昔写真帖」より転載

現在の逢隈橋

渡船場付近よりはまだまし、といった程度で、険しい渓谷であることに変わりはない。

延々と何kmも続く阿武隈川渓谷への永久橋の架設は、

かねてより両岸住民の悲願であった。

これは昭和33年(1958)に完成した3代目だが、非常に狭い上に歩道がなく、欄干も低い。

とても現在のニーズに応えているとは言い難い。

ちなみに初代・逢隈橋は、撮影者が立つ付近に架かっていたと思われる。

 


以下、「福島市史」の別冊である「福島の文化」に興味深い記述があったので紹介したい。

 

ORJ35号で取り上げた祓川橋

石アーチ橋が多く残る九州地方でも、要石に彫刻を施した橋はないのだという。

この発想はどこから生まれたのであろうか。

 

 

 

 

 

祓川橋に影響されて、信夫橋の橋脚にも鶴亀の彫刻が施された。

現在この橋は残っていないが、亀の部分がひとつだけ民家の庭に保存されている。

 

信夫橋の建設工事には、川俣町から布野(ふの)という石工が参加していたと言う。

ORJ36号

 

ふくしま100年」より転載

 

 

 

亀の彫刻のある橋脚の一部

 

 

「うつくしま土木建築歴史発見」より転載

 

 

布野氏は、親柱に名前のある三春町の松本亀吉と共に、

この松川橋の建設にも参加していた。

 

 

 

 

ORJ37号

 

布野氏は故郷の川俣町に帰り、明治22年(1889)壁沢川に石橋を架けた。(現在は移設)

なんと「信夫橋架橋記念」なのだと言う。

彼は初めて見る技術やデザインに大いに触発されたのであろうか。

キラキラと好奇心に満ちた布野の表情が見えるようである。

 

 

ORJ20号

 

 

現役時の壁沢川橋

これには要石がない

 

「うつくしま土木建築歴史発見」より転載

 


以上が「福島の文化」にあった記述である。

 

飯野は川俣の隣町で、福島への往復には必ず通る。

もしかすると、この柴切田川橋も布野氏の手によるものではなかろうか。

そう思えてならないのである。

 

 

 

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