越後街道・束松峠4  2004.06              [TOP] [MENU]

稜線に付けられた街道を進む。

ふと左側を見ると、すぐ下に新道が見えた。

いつの間にか接近していたのだ。

 

 

 

 

 

道が下りになってきた。

下り坂の途中に「孫束松」との標柱があった。

しかし、この松も2001年に枯れてしまった。

 

 

 

  

                     

標柱の奥にT字路が見えてきた。

先ほど眼下に見えた、新道との交点だ。

 

 

 

 

 

 

右が新道で「洞門」とある。(→こちら

左が街道だが、一部新道と重用している。

 

 

 

 

 

 

この深い切り通し部分が重用区間である。

奥に見えるT字路を右に行くのが街道である。

 

 

 

 

 

 

ここからは再び「江戸時代の道」になる。

岩を削ったような坂を上ってゆく。

 

 

 

 

 

 

途中に「子束松」があったが、

すでに「跡」になっていた。

1998年に枯れてしまった。

現在は切り株だけが見られる。

 

 

 

 

足元の土が水分を含むようになり、

ぬかるんでくる。

少し藪っぽくなってきた。

峠への最後の上り坂である。

[2004.06]

 

 

 

<追補>

3ヵ月後、再び訪れてみると、

なんと路肩が崩落していた。

7月の会津豪雨の影響だろうか?

山側を削って幅員を稼ぐ措置が取られていた。

400年続いた越後街道に何が起こったのだろうか。

[2004.09]

 

前方に広い平坦地が見える。東屋もある。

ふう、着いた。

ここが束松峠である。

 

 

 

 

街道東側(左)には二軒の茶屋があった。

片門村の笹島家から出た茶屋は西(画面左奥)、

本名村の鈴木家から出た茶屋は東(画面左手前)

と並んでいた。

道向かい(画面右)には「お助け小屋」があり、

旅人の避難小屋として供されていた。

 

 

この二軒の茶屋は、「峠の茶屋」と呼ばれ親しまれ、

1963年まで営業していたというから驚きだ。

観光客が来ていたのだろうか?

現役時の写真を見てみたいものである。

現在は標柱と礎石が残るのみだ。

 

 

 

峠からは、東方、南方の眺めが良い。

東には、先ほど通過してきた一里塚が見える。

鉄塔の足元の丸いのがそれである。

 

 

 

 

 

さて、下りに掛かろう。

 

 

 

 

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