石川街道(和田道)・須賀川宿 馬町〜和田村 [2006.02] [TOP] [MENU]
3ルートある石川街道のうち、岩法寺経由のルート(黄)は
メインとして既に紹介した。
さらに三城目経由のルートも、一部だけ紹介した。
今回は、残る和田、小作田、竜崎経由のルートを紹介する。
なお、このルートは岩法寺経由のルートと一部重複している。
そのすぐ南側に馬町交差点がある。
奥州街道・須賀川宿から石川宿へ向う街道の
起点がここである。
馬町交差点を右(東)に入る。
これを荒町坂という。
坂を下ると分岐があるが、どちらに進んでも
1300mほど先で合流する。
ここでは右のR118を選択する。(左はK138)
その理由は後ほど。
街道はその裏手に続いていた。
正面の三角の土地がかつての街道の痕跡であろう。
左に入る。
くねくねと通り・・・。
切り通しになる前は難所であったのだろう。
眼下に和田の田園地帯が見えてきた。
かつて坂道は難所であり、それ故「○○坂」と名前を付けて呼ばれた。
今やその難所には隧道が通り、あるいは切り通しになり、便利になった。
そして坂道の名前も人々の記憶から、、、消えていった。
新興住宅地の中、錆びた標識が浮いている。
当時は急坂だったため、当時の人々はこちらのルートを
避けたのだ。
しかし今ではセンターラインのある広い県道になり、
主役が逆転してしまった。
街道は南(画像右)に折れる。
現在は直角の交差点になっているが、
当時はもっと手前からショートカットしていた。
街道は奥に見える左カーブの辺りに繋がっていた。
現在は宅地や果樹園になり、道の痕跡はない。
なんとか道を見つけて進む。
右に見える崖下の道も古くからある道らしい。
ここで道標を見つけた。
「西 牡丹園道」 「南 村社参道」 とある。
方向から推測して、別の場所から移設されたものであろう。
昭和期の新しいものであった。
川を渡って、和田村から小作田村に入る。
ここには明治になるまで橋は架けられず、
人々は渡渉や舟で渡っていたようだ。
例によって、河川付近の旧道は消失している。
旧橋が架かっていた付近を渡っていたらしい。