日本硫黄沼尻鉄道・旧線 (猪苗代町)   2009.03     [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

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昭和23年(1948)の木地小屋駅付近。

並走する国道115号線はまだ県道表示であるが、

やたらとカーブが多かったことが判る。

江戸期の土湯街道の名残りであろうか。

 

 

 

 

 

10年後、昭和33年(1958)の同所。

多くの箇所で変更・改修され国道の直線化が成されている。

旧国道もまだ描かれている。

 

 

 

 

 

 

この改修工事により、この区間だけで5箇所あった踏み切りが

最も西側(酸川野駅脇)の1箇所だけに改善されている。

直線化以外に踏み切りの解消も工事の目的だったのであろう。

 

そして昭和40年(1965)、ついに国道に指定されるのであった。

 

「旧国道115号線」レポ、終了・・・・。

 

 


     
  いやいや! 本題は沼尻鉄道である。

既にS33の地図は持っていたのだが古書店にてS23版を見つけ、

猪苗代森林鉄道が描かれていたので購入決定。

日本硫黄沼尻鉄道部線」との表記にもニヤニヤしてしまったのだが、

この2つを見比べていて発見したのがここである。

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あれ? 酸川野〜木地小屋間で換線されてないか!?

沼尻鉄道で換線があったなんて聞いたことがないぞ?

     

最新の地形図と比べてみる。

廃線後に軌道跡は国道に転用され、

あるいは圃場整備により消えてしまっている。

旧国道のラインも既にない。

さらに古い時代の軌道跡など残っているだろうか・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

A地点より合流点を望む。

沼尻鉄道が開通した当時、国道は南側を通っていた。

 

 

 

 

 

 

国道のルート変更に伴い、交差を避けるために

沼尻鉄道も換線されたと思われる。

 

 

 

 

 

 

旧線はすぐ先で田茂沢川を渡っていたと思われる。

しかし、橋の痕跡は一切消えていた。

この三角の空き地が道床の跡だろうか。

 

 

 

 

 

日本の原風景を思わせる田茂沢川の流れ。

対岸に高い石垣を発見したときは「旧線の法面か!」

とも考えたが、これは水路の擁壁であった。

対岸に軌道を設置するスペースもなさそうなので、

旧線はこちら側を通っていたと結論付けた。

 

 

 

水路があるため軌道に沿って国道を延ばすことも諦め、

結局軌道共々換線することになったのではあるまいか。

 

しかし、ここが軌道跡がどうかも怪しまれる現状ではある・・。

この先(B地点)で右にカーブしていたと思われる。

 

 

 

B地点から望む。

奥に見える築堤が現国道115号線で、

ここまでは軌道と並走していた。

点線の先端が新旧線の合流点ということになるが、

その先にあった軌道跡は水田になっており消えている。

 

 

 

新旧合流点がここ。

換線される昭和20年代まで、

ここには踏み切りがあったことになる。

 

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