日本硫黄沼尻鉄道6 (猪苗代町) 2006.09 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
青い実線は当時の国道
緑の実線は旧県道
(国土情報ウェブマッピングシステムより転用)
これが軌道跡なのだが、すぐ先で消失している。
迂回して向こう側にまわる。
なお、左側に昭和5年の銘がある馬頭尊碑があるが、
鉄道との関連は不明。
背伸びして見ると、奥に先程の砂利道がかすかに見える。
そこから先は、畑や民家になっている。
今でも未舗装の旧県道福島猪苗代線を横断して、
奥に見えるK115に合流していた。
当時、ここには踏み切りがあった。
(この旧県道は地形図に載ってない)
道床の痕跡は全く失われ、蕎麦畑になっている。
ここは断崖と酸川に挟まれており、工事の難所だった。
また見通しも悪く、昭和23年(1948)には
蒸気機関車同士の正面衝突事故が発生、死者も出ている。
すぐに分岐があり、左が専用軌道であった。
植林地を拓いて軌道を通したことが判る。
暗い森を抜けると、先ほど分かれた国道と交差する。
この交差点に酸川野の停留場があった(画面中央)
国道は左の酸川野へ入って行くが、
軌道は集落内の勾配を避けて直進していた。
「現在の国道115号線が軽便軌道」とあるので、
「鉄道廃線跡を歩く2」P41にある、旧国道と現国道の間を
通っていたように描かれた地図は誤りのようだ。
この駅名標の表記は「歩く2」を意識しての反発だろうか(笑
(ちなみに、樋ノ口〜名家〜酸川野、木地小屋の東側も誤り)
列車は国道を塞いで停車したため、
その間、ずっと踏み切りで待っていなければならなかった。
上の画像はこの待合室があった場所を、同じ角度から撮影している。
後方を国道が通っているのが見える。
当時の沿線にかつてあった待合室にそっくりな形状である。
これはフレームが鉄骨なので、当時のものではないが
当時の様子を想像するのには良いアイテムである。
そう言えば、沿線を走る路線バスを見ることはあっても、
バス停で待つ客を見たことは無いなー。
当時、左側には大きな製材所があり、
高い壁がずっと続いていたという。
再び国道と合流し併用になる。
合流点を振り返る。
右が旧国道、左が軌道跡である。
橋は専用だったのか、併用だったのか不明。
いずれにしろ橋の痕跡は無い。
しかし圃場整備により道床は失われているため、
分岐点は想像するしかない状態である。
作業道の入り口があるが、これは軌道跡ではない。
ここを最後に、沼尻駅手前までの間、
軌道跡は圃場整備により全て消失している。
この直線の東端付近は軌道の道床と重なっているようだ。
単なる偶然かも知れないが、道床であると信じたい気もする。
右奥に見えるのが、精錬所があった安達太良山である。
軌道はここを直進していたようだ。
何かないものか、と探すと、質素な橋台と木橋の残骸が!
しかし橋の向きが、軌道の方向と垂直に位置している。
残念だがこれは無関係のようだ・・・。
国道バイパスにより、道床は消えている。