日本硫黄沼尻鉄道5 (猪苗代町) 2006.10 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
青い実線は当時の国道
緑の実線は旧県道
(国土情報ウェブマッピングシステムより転用)
あれが現国道115号線である。
堤防上から合流点を振り返る。
当時堤防上に車道はなく、ここは専用軌道だった。
すぐに右から来る国道と併走するようになっていた。
現在この道は県道323号線になっている。
酸川(すかわ)を渡っていた。
活火山である安達太良山に源流を持つこの川は強い酸性を示す。
それが下流にある猪苗代湖の富栄養化を防止し、
全国屈指の透明度の保全に役立っているのだという。
<酸川橋梁>
この酸川橋梁の位置の考証に関しては、今回最も多くの時間を費やした。
しかし当時の写真や平面図、現場での検証を合わせても、まだ謎の部分が残ってしまった。
沼尻鉄道 | 国道115号線 | |||
大正2年(1913) | 開通時の酸川橋梁は木橋か | 当時は木橋 | ||
昭和11年(1936) | すぐ下流に鉄橋が新設される | まだ木橋 | ||
昭和35年(1960) | ↑そのまま廃止時まで使用 | 下流にコンクリ橋竣功。 | ||
昭和44年(1969) | 廃止 | ↑航空写真に写っているのはこの橋 | ||
昭和55年(1980) | 更に下流に現在の酸川橋が竣功 |
(国土情報ウェブマッピングシステムより転用)
藪に覆われ確認できない。
2006.09
コンクリートの塊が少し見えるようになった。
2006.10
再び刈り払いする。
河原でガサガサ音がすると思ったら、
大きなタヌキが走っていった。
2006.11
ここに至りやっと橋台の形状が認識できた。
桁を載せる凸部も確認。
2007.04
何本かが一直線に並んでいる。
当初は初代酸川橋梁のものかと思ったが、
だとすると、橋台も初代のものという事になってしまう。
初代の橋脚は四本構成だったようなので、
これは沼尻鉄道とは無関係の遺構のようだ。
橋台から直角線上には、国道の酸川橋が架かっている。
樋ノ口側の橋台は橋梁工事の際に撤去されたのかも知れない。
こう見ると、位置的には初代の可能性も考えてしまうな。
そこに埋め込まれた橋桁固定用のボルトを見ると、
大正初期の施工とは思えず、やはり二代目だろうな、
と納得せざるを得ないのだ。
この点は今後も論議を深めたい所である。
(沼尻鉄道とは無関係、との可能性も含めて)
そこに新旧酸川橋梁の写真があったので転載する。
モルタルで補強された石積みの橋台。
橋脚は4本で、コンクリートの基部から6本の木柱が生えている。
すぐ下流には新酸川橋梁のコンクリート製橋脚が見えている。
既に旧橋の痕跡は全く見られなくなっているようだ。
短いガーダーには支柱があったのか。
[2008.12追記]
道床は民家や蕎麦畑に転用され、消失しているが、
遠くに見える緑の畦道は軌道の痕跡らしい。
道床がそのまま残ったものとは思えなかった。
たまたま畦道と重なっただけのように見える。
奥に駅名標が見えてきた。
手前の車道は国道459号線だが、当時は単なる細道だった。
R459を進むと、名家集落の先に秋元発電所がある。
左に見える、白いコンクリートブロックの壁は
当時の写真に写っているものと同じもののようだ。
(現在、会津バスの各バス停も、「○○停留所」の表記である)
この名家停車場は秋元発電所の工事開始に伴い、
昭和12年(1937)に設置された、最も新しい停車場である。
工事の際には、ここから分岐する専用線が敷設され、
川桁駅から建設物資や人員を運んだ。
昭和16年(1941)に発電所が完成すると専用線は撤去され、
現在その痕跡は全く見られない。
発電所完成後も停車場は残されたが
はたしてどれほどの利用客があったのだろうか。
現在の名家には、今でもバス停がないのだ。
ここも内壁に時刻表が貼ってあるのが見える。
これが貴重な軌道跡の道床である。
民家の奥からは畑になり、痕跡は消えてしまう。