日本硫黄沼尻鉄道4 (猪苗代町) 2006.09 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
緑の実線は旧県道(途中は省略)
(国土情報ウェブマッピングシステムより転用)
赤い点線が軌道跡。緑の実線は旧県道。
3km以上ある長い直線が終わり、左カーブになる直前左側に
白木城停留場があった。
白木城集落は手前の細道を左に入った、やや離れた所にある。
右側奥にある小水沢集落の人々も、
この停留場を利用したのであろう。
なお、白木城バス停はここではなく、
西側を通るR115に設置されており、このルートにはない。
側壁の一部が無くなっている。
内側に貼ってあるのは時刻表だろうか。
ここにレールが敷かれ、小さな機関車が走っていたのだ。
余りに長すぎて、奥の方は霞んで見えない。
青い実線は当時の国道
(国土情報ウェブマッピングシステムより転用)
赤い点線が軌道跡。緑の実線は旧県道。
やがて樋ノ口の大きな集落が見えてくる。
この踏み切りには警報機と遮断機が設置されていた。
軌道と国道115号線は計三箇所で交差していたが、
遮断機が設置されたのはここだけであった。
なおK323はここで右折し、バスもそちらへ進む。
やがて広い構内を持つ会津樋ノ口駅に到着。
全線の中間に位置している為、列車はここで交換していた。
右奥の白い建物付近が駅舎跡。
以前は蒸気時代の給水塔なども残っていたらしい。
街外れには吾妻村道路元標も見られる。
後述する秋元発電所の建設工事の際は
建設関係者が宿泊して大いに賑わったという。
駅舎の北側には日本硫黄の事務所もあった。
よく見ると「会津樋の口駅」だ。
「ノ」が「の」になっている。
ディーゼル機関車が停車中の様子。
いつの間にか廃業していた。
かつての宿場町もどんどん寂れて行くな・・・。
この右側を通っていた側線には、転車台があったようだ。
左奥には吾妻小学校がある。
「貯金は農協へ」の文字がうっすら見える。
この倉庫も当時からあるものだ。
ちょっと寄り道してみよう。
これはかつて「樋ノ口映劇」という映画館であった。
沿線の住民も軽便に乗って映画を見に来ていたのであろう。
この地域の繁栄を伺わせる華やかな建物も、
現在は倉庫として余生を送っているようだ。
酸川の堤防への登りである。
当時からこんな勾配だったのだろうか?
蒸気でなくとも登るのは辛そうだ。