猪苗代第三発電所 (旧河東町)  2005.09    [TOP]  [寄り道]  [発電所TOP]

 

 

[全体図]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

第二発電所のすぐ下流に、

第三発電所用の取水口がある。

日橋川の両岸は石垣で固められ、

「川」ではなく「水路」という扱いなっている。

いつしか”自然に戻す”という日が

来るのだろうか。

 

 

工事軌道跡と思われる場所から取水口を見る。

第二発電所用の取水口と同じ形状のようだ。

第二が滑らかな石とレンガでできているのに比べ、

第三は全てごつい石で組まれている。

 

 

 

 

取水口のやや下流左岸に、大正15年(1926)建立の

大きな供養塔がある。

第三発電所の方を向いて立っているようだ。

碑文によると、工事の際に五名の方が亡くなっていた。

合掌。

 

[2007.07]追記


[A地点]

取水口から暗渠に入った水は、

1km弱西で姿を現す。

今風のコンクリートの坑門と水路。

改修されたのかもしれない。

 

 

厄介な事に、猪苗代第三発電所の場合、

取水口、暗渠、発電所が分散していて

一気に見られない。

発電所に行くには「漆沢」という古い集落を通る。

この付近にはやたらと道標が多いため、

ついつい寄ってしまい、なかなか発電所に

辿り着けない。 性というか、業というか・・・。

集落の東の入り口にある、この道標には

大寺駅」の名が陰刻されていた。(現・磐梯町駅)

 

漆沢を西へ進むと分岐があり、ここにも道標がある。

これには「廣田駅」の名が見られた。(現・広田駅)

 

 

 

 

 

 

 

[B地点]

集落の西の外れから北へ砂利道に入る。

なにゆえ発電所とは無関係の道標を

二つも紹介したのか。

その理由がこれだ。

砂利道の右側に道標がある。

 

「またか」と思いつつ、詳細を観察して驚いた。

そこには「向右 東電第三発電所 一丁」とあったのだ。

上の二基と同様昭和三年のもので、駅名も珍しいが、

石の道標に刻まれた「発電所」の文字はもっと珍しい。

私は初見である。

東京電力職員専用道標なのだろうか。 んなこたーない

 

「一丁」とは約100mなので、ここからは歩いて行こう。

 

 

農業用水路の架かる橋を渡り、

坂を下るとすぐに発電所が見える。

施錠され接近は不能。

右の坂を登ると貯水槽に達するようだが、

これも柵の中だ。

ここにもお約束の桜の古木がある。

根元には花が添えられていた。

 

柵越しに観察する。

手前に変電施設があって見づらいが、

次回紹介する第四発電所と

規模も形も同じであるように見える。

 

近代土木遺産Bランクに指定。

 

 

完成当時の画像。

なんだか現在よりもボロっちく見えるな。

 

 

 

 

 

貯水槽の水門も当時と変わりないようだ。

石垣の耐久性はともかく、鉄製の水門のそれも

なかなか侮れないものがある。

 

 

 

 

 

貯水槽がやたら大きい。

発電所から出た排水は、直接ではなく

水路を通ってから日橋川に流されている。

なぜ直接じゃないのか、理由が不明だ。

逆流防止か?

 

 

 

発電所東にある排水路の様子。

どうやら古い石垣の水路を壊して、

コンクリート製に直す工事をしているらしい。

こうして貴重な産業遺構は、日々、

人知れず破壊されて行くのであろう・・・。

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   長く使っていると漏水対策とか耐久性とか、いろいろ問題が生じてくるのでしょう。
  東電は趣味でやってるわけじゃないからなあ。第一の建屋は既に破壊され、第二だって今後どうなるかは不透明なのだ。

  古写真は「土木学会付属・土木図書館」様より転載させて頂きました(使用許諾済)