常磐炭鉱・磐崎坑 (いわき市湯本町)   2007.02        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


磐崎坑跡を目指して炭鉱住宅があった辺りを進む。

道端に鉱山跡が近づいた事を示す遺構を見つける。

 

 

 

 

              

苔むした石垣の上に半壊したレンガ製の建物がある。

いったい何の建物だったのだろうか。

 

 

 

 

 

 

少し先に切り通しがある。

コンクリートの擁壁に仕切られた立派な施工だ。

(これは軌道跡じゃないからね)

 

 

 

 

 

高規格な割には非常に狭く、一車線分しかない。

壁には車が擦った跡がたくさん付いている。

こうまでして道路を掘り下げなければならなかったのは

単に勾配の改良だけが目的ではなかろう。

その理由は少し進んだ所で推理できる。

 

 

 

すぐ先にも短い切り通しがあるが、

先ほどのものとはだいぶ様子が違う。

 

 

 

 

 

 

側壁の微妙な曲面は何だ?

上部の荒々しいな断面は何だ?

 

 

 

 

 

 

これは隧道を撤去した跡ではないか!

いや、地中に潜っているわけではないので、

シェルターとでも呼ぶべきか。

この上空を「なにか」が通っていたのだ。

 

 

 

 

路肩には坑口の曲線を残す瓦礫が

無造作に打ち捨てられていた。

この中途半端な撤去作業から考えるに、

公的機関の施工とは思えない。

付近の住民が「邪魔だから壊した」といった感じだ。

 

 

 

さて、やっと謎解きである。

木々に隠れて判り辛いが、シェルターの真横に

磐崎坑の斜坑がドーンと立っている。

 

 

 

 

 

接近するとなかなか大迫力の坑門だ。

坑口はコンクリートで塞がれてしまっているが、

銘板はそのまま残されている。

 

 

 

 

 

 

 

 「磐崎本坑」  本卸坑口

銘板は嵌め込むタイプではなく、直接坑門に彫ってあった。

廃坑の銘板はたいがい外されて然るべき場所に

保存されているが、これでは外せない。

 

 

 

 

すぐ脇にはずっと小さな二連の坑口がある。

これは連卸坑口で、本卸坑口が石炭の搬出を

行うのに対して、連卸坑口は坑夫を運んだ。

現在、内部はすぐ奥で塞がれている。

「ほんおろし」「つれおろし」と読む。

 

[2007.05] 修正

 

坑口を出た炭車は、すぐに道路の上に架かった

急勾配の橋を上る。その橋と干渉しないように

道路を掘り下げ、こぼれ落ちる石炭から歩行者を守る為に

シェルターを設置したものと思われる。

坑口と対面する丘の上には、炭車が通っていた遺構が残る。

 

上に登ってみよう。

 

丘の上は校庭のように広く平らになっており、

なんらかの施設があったことを思わせる。

現在はススキの原になっているのだが、

明らかに道がある。

ここ以外歩けないので、あてもなく進んでみる。

 

 

 

やがて「道」は深い掘り割りに吸い込まれて行く。

もしかすると、もしかするぞ。

 

 

 

 

 

 

やった! やはり隧道があった。

ここまでの道同様、掘り割りの内部も除草されているようだ。

向こう側にある巻き上げ機に引かれた炭車の列が

日夜流れていた場所だ。

接近してみよう。

 

 

 

 

素掘りの隧道は人為的に埋められたようだ。

軽便規格の隧道よりは、やや大きいようだ。

 

 

 

 

 

 

坑口を埋める土砂に上ってみる。

上部の僅かな隙間を覗いてみたが、

いろいろなものがぎっしり詰まっていて、

光も見えず、風も感じられなかった。

 

 

 

 

隧道の坑口から鉱山方面を振り返る。

掘り割りの一部はコンクリートで補強されていた。

木が生えてないので、定期的に除草されいると見て

間違いなかろう。

 

 

 

 

 「チップラー」

隧道を抜けた炭車は、この施設で引っくり返され

下部の選炭場に石炭を落とす。

 

 

 

 

<長倉停留所>

石炭は更に下段のホッパーに運ばれ、

専用鉄道・小野田線を通る貨車に積み込まれ、

常磐線・湯本駅まで運ばれていた。 

[2005.03]

 ←小野田線にもどる    新長倉坑へ進む→

      [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]