高玉鉱山専用軌道3・鴬線 (郡山市)   2006.04   [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

精錬施設の集中する本山坑の1500mほど北西に鴬坑がある。

本山坑とあまり標高差がないため、大正9年(1920)この間に

軌道が敷設され鉱石やズリを運搬した。

当初は馬車であったが、昭和元年(1926)にはガソリンカーが導入された。

 

この軌道が昭和51年(1976)の閉山まで使用されたのか、

途中でトラック輸送に切り替えられたのかは不明。

ただ、昭和32年(1957)発行の地形図「二本松」には軌道が描かれている。

 

 


本山坑に向かう運鉱道から逸れ、左の道へ入る。

この辺りには大小のズリ山が点在している。

 

 

 

 

 

中には見上げるような大きなズリ山もある。

ズリだけでなく、木片や廃レールも混じっているようだ。

30年も放置したように見えないのは、

常に表面が崩落を繰り返しているからだろうか。

 

 

 

 

さて軌道跡であるが、現在は山頂にある電波塔の

管理道路となっているようで、全面的に車道として

転用されてしまった為、かつて軌道であった痕跡は

ほとんど見られない。

 

 

 

              

路肩の所々に、錆びた細いレールが見られる程度である。

 

ただでさえ薄い軌道の痕跡を見逃さぬように、

徒歩にて探索する。

 

 

 

 

 

 

所々で視界が開け、思わず足を止める。

かつて金山で栄えた、高玉集落が見える。

晴れた日には那須の山々まで見えそうだ。

 

 

 

 

 

林道としても使われてる様子。

法面の崩落も見られず、路肩もしっかりしている。

たまに泥濘地がある程度で、危険な箇所はない。

ただし車の離合は簡単ではなかろう。

 

 

 

 

碍子が付いたままの木製電柱が倒れていた。

連絡用の電話線だろうか。

電柱の朽ち方がハンパじゃない。

 

 

 

 

 

再び遠望。

磐越自動車道・高玉東トンネルの東坑口が見える。

坑門が白鳥のデザインになってるんだね。

 

しかし、ずいぶん高い所に来たもんだ。

 

 

 

途中で車の回転も可能な広場を見つけた。

「車で来ても良かったかなー」、と思う怠惰な自分。

それにしても、この広場の存在理由が判らん。

奥に人工的な切り通しらしきものが見えるので

入ってみる。

 

 

 

やっぱりあった!

あったけど、これが何であるか判らない(笑

建物があったようにも見えるが、

なにゆえ道から奥まった所に?

竪坑でもあったのだろうか?

規模からして、ここが鴬坑とも思えない。

 

 

さらに奥へと進む。

ブラインドカーブが見える度に、

「あのカーブを曲がって何もなかったら帰ろう」

という、いつもの悪い病気が出てくる。

もう少しだけ行ってみるか・・・。

 

 

 

崖下になにやらコンクリートの構造物がある。

水槽であろうか?

 

 

 

 

 

 

やがて初めての分岐が現れる。

右に上って行く鮮明な道は、電波塔の管理道であろう。

左の藪っぽいが平坦な道こそ軌道跡に違いない。

 

 

 

 

すぐに倒壊した電柱が現れた。

碍子やワイヤーが見られる。

 

 

 

 

 

 

傍らに小さなトランスが落ちていた。

見慣れた日立のマークが目に留まる。

小規模ながら変電施設があったらしい。

どうやら鴬坑跡に到着したようだ。

 

 

 

 

トランス(変圧器)を詳しく見てみる。

「變壓器」という古い字体がなんとも嬉しい。

日立製作所の昭和11年製とあった。

昭和51年(1976)の閉山まで現役だったのだろうか。

 

 

 

 

さらに奥へ進むと、レールが山積みになっていた。

真っ直ぐなものは少なく、何れも曲線を描いている。

おそらく屈曲した狭い坑内で使用されていたものであろう。

 

 

 

 

 

6kg/mのレールですかね?

いやー、小さい! かわいい!

 

 

 

 

 

 

山の斜面を見下ろすと、そこには高さ2m程の石垣が

3段、4段、と連なっている。

現場事務所とか住宅とかあった跡だろうか?

でも簡単には近づけない地形なんだよな。

次回は車で来て、ここを重点的に調査してみるか、

などと、いつものようにヘタレな事を言いつつ撤収。

 

  <追記> 
  
聞き取り調査によると、ここには数百人の鉱夫とその家族が住んでいた。子供たちはここから学校に通っていた。
   本山には季節学校があったがそれも4年生までで、それ以上の学年になると麓の学校まで通っていた、とのこと。
   閉山後にはトロッコに乗って鴬線を下って遊んだが、かなりスピードが出て怖かった、とのこと。


帰路も周囲に目配せしながら歩いたが、

新しい発見は特になし。

しかし、車を止めた地点に近づいてきた所で、

藪に隠された分岐を発見!

微妙な曲線を描いて左へカーブして行く。

未転用の軌道跡に違いない。

 

 

すぐ先で道床は藪に覆われてしまうので迂回して進む。

やはりなんらかの施設があったようで、

破壊が進んだいろいろな遺構が散乱していた。

 

ここが鴬線の終点らしい。

 

 

 

ふと足元を見ると、子供用なのか小さな茶碗が

半分埋もれていた。

ここには家族の生活が、確かにあったのだ。

閉山後、この家族はどこに行ったのだろうか。

体温を感じる遺構は、なんか、悲しい・・・。

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