浪江森林鉄道・三程線1 (浪江町)   2007.04        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

大正2年(1913)開通の最古の支線。

昭和41年(1966)廃止。全長3.2km

「全国森林鉄道」にも「トワ6」にも記載されている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


畑川橋梁を渡った直後に支線・三程線が分岐する。

路肩には道床の石垣が、少し露出していた。

 

 

 

 

 

分岐点から三程線跡を見る。

現在は県道253号落合浪江線の一部になっている。

この辺りには小さな集落があり、かつては分校も存在した。

右上の建物が中学校で、その奥の坂の上には

小学校があった。

 

 

 

中学校は廃校となり、校舎は廃墟と化している。

中学校と呼ぶには余りにも小規模で、

まるで個人住宅のようである。

 

小学校の校舎は既に撤去され、更地になっている。

 

 

              

中学生が毎日上った階段と校門が残る。

かなり破損が進んでいるが、

門柱には「大堀中学三程分校」とある。

本校である大堀中学校も昭和45年(1970)に

浪江中学校に統合されており、今は存在しない。

 

 

 

先へ進もう。

森林鉄道の支線が県道にまで昇格した、

珍しい区間が200mほど続く。

この高い石垣の法面も、軌道時代からあったものと思われる。

 

 

 

 

すぐ先の路肩に2連続で橋台が現れる。

軌道は現道よりも高い所を通っていたようだ。

 

 

 

 

 

 

その先の橋台は更に高い。

現在は暗渠になり、現道に橋は存在しない。

 

これは2005年1月の様子。

 

 

 

 

2007年4月の状況。

県道標識は新しいものに交換され、

「注意 CAUTION」の旧型標識は撤去されてしまった。

支柱は林鉄の廃レールだったと記憶している。

 

 

 

 

少し戻って、上の橋台を逆方向から見る。

この分岐には林道名が表示された標識がある。

勿論、右が三程線で、左へ進む県道は昭和35年(1960)の

車道化工事の際に新規開削された区間に入る。

 

 

 

車道化の際に設置された林道のガーダー橋は、

現在でも県道橋として使用されている。

この沿線では、石垣だからと言って林鉄由来の

構造物であるとは言い切れないことが判る。

これは2005年1月の撮影で、赤錆びたガードレール、

路肩の廃レール支柱は既に見られない。

 

 

橋の上から三程線の道床を見る。

法面に残る、僅かな段差が軌道跡である。

 

 

 

 

[2005.01]

 

この分岐には色々な標識が林立している。

金属製の林道標識には「起点」との表記まである。

延長は約10kmと、軌道時代の3倍に延びている。

 

さて、林道となった三程線に入ってみよう。

 

 

 

 

 

まさかと思ったが、ここにも鉄製距離標が存在していた。

こうなるともう、あるのが普通だな。

 

左に鉄製、右のカーブミラー付近にプラ製のがある。

 

 

 

 

フォントが「五○○」じゃないのは残念。

後から書き換えた可能性もある。

 

分岐にあった起点標識から500m地点にあることからも、

これが車道化後に設置されたものであることは明白だ。

残念ながら軌道とは無関係なのだ。

 

 

 

 

水田の脇を緩やかに上って行く。

法面の石垣が苔むしている。

 

 

 

 

 

 

平野部の幅員はやや広いが、

山間部に入ると離合不能になってしまう。

見通しも悪い。

 

いくつか橋があるが、全てコンクリート橋か暗渠に変わっていた。

 

 

 

断崖の急カーブに切り通しが残る。

全線舗装された車道になっているため、

こんな遺構ですら貴重に思える。

しかしこれも拡幅されており、旧状を保っているわけではない。

 

 

 

 

やがて再び距離標を発見する。

 

 

 

 

 

 

 

新旧が仲良く並んでいる。

鉄製の方は全く文字が読めなくなっているが、

プラ製のおかげで2km地点であることが判る。

 

 

 

 

 

沿線には所々に集落が点在している。

集落の周辺には水田が広がっており、

軌道はその中を貫いて通っていた。

その路肩はしっかりと石垣で固められている。

この施工は本線の終点付近に似ている。

 

 

 

やがて林道は三程沢を渡るが、

軌道は沢に沿って延びていた。

奥の黄色い矢印の地点に「2.5」のプラ製距離標がある。

3200-(2500+200)=500 で、

ここから500mほど先が終点だが、単なる道の途中であった。

 

  やまちゃん氏の聞き取り調査によると、終点手前の1kmほどは、昭和41年(1966)の廃止より先に撤去された、とのことである。

 

橋の上からは沢沿いの道床が遠望されるが、

ご覧のように手前で大きく崩落している。

無理すれば進入できないこともないのだが・・・。

 

 

 

 

 

路肩の石垣が見えるが、状態は余り良くないようだ。

まずは上流の様子を確認してみようかな。

近くに民家があるので大きく迂回する。

 

 

 

 

 

適当な所に車を止め、沢を目指して林を突っ切る。

そこで見つけた軌道跡は悲惨な状態であった。

擁壁は崩れ、土砂が河床にまで流出。

残った道床も土砂に埋もれつつあった。

 

 

 

 

その先の様子。

道床が完全に埋もれ、ただの斜面になっている。

軌道跡を辿るには、延々と河床を歩くしかないが、

そんな装備を持ち合わせてはいない。

よって、再び迂回である。

 

 

 

再突入のポイントを探しつつ迂回していたら、

軌道がこちら側に戻る地点まで来てしまった。

 

三程沢を挟んで橋台が一対、現存している。

 

 

 

対岸の橋台。

笹や樹木に覆われており、こちら側から進入して

軌道跡を辿ることは難しそうだ。

 

 

 

 

 

手前の橋台。

なぜかきれいに除草されており、上に乗ることもできる。

川の流れに洗われながらも、崩れることもなく残存。

古の職人の技、いとをかし。

 

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