浪江森林鉄道5 (浪江町) 2007.04 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
この辺りに隧道があったのだが、撤去されている。
現在はネットで覆われた巨大な法面が残るのみだ。
撤去は車道化工事と同時期か。
県道はずっと高瀬川の北岸を進んでいるが、
軌道は北岸を進むのを諦め、ここで南岸に渡っていた。
ガードレールの奥に石積みの橋台が見える。
風光明媚な場所であるところから「見返り橋」と命名された。
[2005.03]
すぐ奥に南岸側の橋台がある。
[2005.03]
[2007.09]追記 (浪江森林鉄道沿線元住人様からの情報)
地元の方は「見返り橋」と呼んでいた、とのこと。
見返り橋の写真を頂いたので転載させて頂く。
・かなり立派なプレートガーダー橋だったようだ。
・ディーゼル機関車が客車を引いているように見える。林鉄に客車とは非常に珍しい。
・乗客は村の名士や電力会社の関係者でもあろうか。
・橋台には階段が設置されている。景勝地として定着していたか。
[2009.05]追記
廃道好きにはたまらない光景である。
あそこに行くには、再び県道が軌道跡と合流する地点から
逆に進むしかない。
はたしてどこまで行けるのか・・・。
[2005.03]
ここから右に分岐しているのが支線・三程線で、
現在は途中まで県道になっている。
左下方向が浪江駅方面で、奥に見える橋を渡って
本線を逆走してみる。
高瀬川を渡って南岸に移動する。
現在は東北電力が管理するこの「かんとうばし」こそ、
浪江林鉄の畑川橋梁そのものである。
橋を渡った所に分岐がある。
左の山奥に進むのが支線・真草沢線で、本線は右である。
右側奥には高瀬川発電所がある。
真草沢線に進む→
これほど高規格の鉄橋が設置されたのは、
ここにある発電所と関係があるのではなかろうか。
発電所は大正15年(1926)に開業しているが、
その建築資材の運搬には林鉄が利用されたであろう。
その際、発電機などの重量物に耐えられそうになかった
旧橋を架け替えたのではないか、と想像している。
これは機関車の導入時期、大正14年(1925)とも一致する。
発電所の建築資材を積んだ機関車が、
できたばかりの鉄橋を渡っていたのであろう。
架け替え費用も、おそらく東北電力側が負担したものと思われる。
発電所開業後もそのまま木材の運搬に使用され、
林鉄廃止後の現在も、重量制限があるとはいえ、
車道橋として現役なのである。
[2008.12
追記] 「相双建設事務所」のサイトにこの橋に関する記述があったので転載する。 →PDF 「1926年に東北電力高瀬川発電所の建設にともない架けられた板橋で、延長は70mあります。 発電所建設の際に架け替えられたのではないか、という想像は当たっていたようだ。 |
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これは昭和初期に撮影された畑川橋梁の様子。
発電所前から下流に向かって撮影したものと思われる。
(「全国森林鉄道」より転載)
橋脚の上流側に張り出した大きな水切りに目が引かれる。
車道化の際は枕木の上に厚板を敷いて路面としたようで、
それが受け継がれて今でも枕木の上をクルマが走っているのだ。
[2008.12 追記]
左側には一軒だけ民家があるが、元林業関係者宅だろうか。
発電所に伸びる道が左に見える。
かつては工事用の引込み線があったのかも知れない。
軌道はここから右の切り通しに入る。
[2006.07]
送水管設置の際、道床の掘り下げなど成されたのだろうか。
左右の石垣は自然石を積み上げただけの質素なものだが、
送水管の周囲だけは切り石がきっちり積まれていた。
曲線が悩ましい。
あやしい雰囲気が堪らない。
この辺りになると石積みも荒々しくなり、
怪しさが倍増してくる。
うむ、この先が楽しみだわい。