浪江森林鉄道・中丸木線4(下部軌道4) (浪江町)  2007.05    [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

昭和3年(1928)開通、昭和41年(1966)廃止。全長2.7km

「全国森林鉄道」にも「トワ6」にも記載されている。

 

資料には全長2.7kmとあるが、これは開通時の長さのようで、

戦後(?)に延長されて100mほどのインクラインも設置された。

インクラインの下までだが、支線にしては珍しく機関車が入線していた。

 

 

 

 

 

 

 

 


この光景を見て、どこに線路があったと思いますか?

そして誰が機関車が走っていたと思いますか?

 

しかし読者様から、さらに上流でも軌道跡を発見した、

との驚くべき情報が寄せられたのであった。

 

再訪即決である。

 

歩行可能な場所を求めて対岸に渡り、前回の最終到達地点を振り返る。

道床の正確な追跡など全く不可能。

ご覧の通りのV字谷である。

 

何の痕跡もないが、ここには桟橋状の低い橋が架かっていたと思われる。

「中の沢第五号橋」と言うことになろうか。

 

 

 

 

靴が濡れるほどではないが、

本格的な渓谷歩きになってきた。

倒木がうまいこと丸太橋になっている。

 

 

 

 

 

万一を考えてこの「橋」は利用しなかったが、踏み跡はあるようだ。

人のものか動物のものかは不明だが・・・。

 

 

 

 

 

 

 

 

すぐ先で橋の痕跡を見つけた。

これが橋脚? 30cmくらいしかないぞ。

 

とりあえず「第六号橋」と認定。

「第五」もこんな規模の橋だったと思われる。

 

 

 

上流にはこんな広い平場があった。

 

探索を終えた今なら判る。

ここには中間土場や作業場があったに違いない。

実はここが中丸木線下部軌道の終点なのだ。

かつては多数の側線があったに違いない。

 

 

雑木林と化した平坦な土場跡を進むと、木橋が見えてきた。

この時、まだ何も知らない私は「またか」と贅沢な台詞を吐いた。

この路線に限って言えば、小さな木橋はそれほど珍しいものでは

なくなっていたのだ。

 

 

 

 

 

 

まず、右側に回り込む。

橋の下に水の流れがない。

だがまだ「変だな」、程度の認識しかない。

 

 

 

 

 

それにしても短い橋だ。

しかし対岸が高くなっているようで、

橋桁に勾配が付いている。

 

勾配って・・・・えっ?

急いで反対側に回る。

 

 

石垣の築堤が、急な斜面を駆け上がっている。

インクラインだ!!

これが「全国森林鉄道」にたった一行だけ記され、

私の妄想を掻き立てた100mインクラインだった!

 

完全な形のインクラインを見るのは初めてである。

 

鉄道とは思えない勾配で上る木橋。

なぜ築堤にせず、ここだけ橋梁にしたのだろうか?

 

 

 

 

 

 

高い築堤の壁が上へ上へと伸びている。

遥かな最上部は木々に遮られて見えない。

 

さて、上って行くことにしよう。

 

 

 

 

ぐは〜、これはキツい。

とても一気には上れない。

インクラインの途中から振り返る。

右の足元が石垣の擁壁。

奥に中の沢が見える。

 

 

 

中間部に退避線跡のような張り出しがあったので、

ここでひと休みする。

急激な角度で下って行く軌道跡がお判りだろうか。

 

 

 

 

 

ここまでもかなりの急勾配だったが、ここから先はさらに急激になる。

立ち止まっているだけで、ずり落ちて行く。

もはや路肩の擁壁はなく、斜面を削っただけの道床になっている。

急斜面の路肩に、土砂に埋もれた枕木を見つけた。

奥にはレールも見えている。

 

 

 

 

 

レールが二重になっているのは脱線防止のためだろうか。

インクラインならではの工夫が伺える。

 

 

 

 

 

 

ジョイント部分を拡大。

インクラインのレールは撤去されなかったようで、

途中で何本かのレールを見かけた。

 

 

 

 

 

45度はあるだろうか。体感としては「垂直」である。

しかも足元の地盤が脆い。

インクラインの探索とは、これほどハードなものなのか・・・。

這うように上り続けると、やっと最上部が見えてきた。

 

 

当サイト読者のやまちゃん氏の聞き取り調査によると、
インクラインは複線になっており、積車の重力エネルギーを利用して空車を上げていた。
それを交互に繰り返すことで効率よく上げ下げする、いわゆる交走式(釣瓶式)であった、
とのこと。

情報ありがとうございます。

 

やっと最上部に到達。

重力に引かれる体をなんとか固定して、全体像を撮影する。

これが中丸木線の100mインクラインか・・・。

でも高低差がありすぎて、なんだか良く判りませんな。

いつも隣りにいた中の沢が、今は遥か下方で光っている。

 

 

 

 

 

上部軌道の先端からインクラインを見下ろす。

この部分だけ、路肩が石垣で補強されていた。

 

 

 

 

 

 

 

 


  <昭和33年当時の中丸木線インクライン>  当サイト読者のnikoniko_racing様より提供

 

「33年4月」

本線の廃止(車道化)を2年後に控えた1958年の様子。

場所はインクライン下の中間土場とのこと。

前方はガソリンカーとの事だが、特異な形状をしている。

その後方にディーゼル機関車がある。

 

(無許可転載不可)

 

下部軌道の終点として紹介したこの付近であろうか(方向は逆)。

側線があり左側には家屋が見える。

中央に見える丸太の建屋がインクラインの末端らしい。

さらに奥にも建物が見える。

 

10軒ほどの住居もあったと言う場所も今は樹林帯になっている。

 


「33年 畑川中丸木インクラエン」

書籍、Webを含めて初公開と思われるインクラインの写真。

粗雑な施工の路肩、複線の軌道、既に下ろされた台車、

空の台車とすれ違う原木満載の台車。

私が最初に遭遇した傾斜橋の下には沢が流れている。

現在は護岸も破壊され、流路が変わってしまった。

(無許可転載不可)

 

右に見えるのは木製の樋で、飲料水と自家発電用の

水を引いていた。

 

大規模な作業場であったこの場所も、

今は見通しが利かないほど木々が生い茂っている。

 

 


やまちゃん氏より葛尾村の「郷土文化伝習館」に掲示されている

インクラインの写真を頂いたので転載させて頂く。

 

・下部軌道で機関車が待機中。

・ウィンチのある動力室の形状が判明。思ったより簡素なものであった。

・左側の作業道は今でも通行可能である。写真では雪が積もっている。

 

 

説明書きにある「吉田林業使用」とはどういう意味だろうか?

中丸木線は開通後に延長されたと考えているが、

このことと関係あるのかも知れない。

インクラインも含め、「旧終点」より奥はこの会社が敷設した私鉄の可能性もある。

リスト上は営林署管理の全長のみが記載されているのだとしたら、

今後全路線の再調査が必要になるな・・・。

 

[2009.05]追記


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