原町森林鉄道・新田川線1 (原町市〜飯舘村) 2005.04  [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  常磐線・原ノ町駅を終点とする、県内でも最大級の規模を誇る林鉄である。

  本線の他、支線をも張り巡らし、阿武隈山地北部の森林資源を運搬していた。

  明治41年(1908)馬場線が敷設されたのが始まりなので、一応これを本線とする。

  今回紹介の新田(にいだ)川線は原町森林鉄道の中で、最も北側を通る支線で

  昭和4年(1929)に工事が開始され、昭和34年(1959)に廃止された。

 

駅の南にある貯木場が原町林鉄の終点であるが、

現在はバスターミナルになっている。

そこから西の道床は車道化され、郊外まで続く。

大木戸付近で南に進む本線と分岐して

新田川線は直進していた。

分岐から西側は耕地化の為、ほぼ消失している。

 

 

南進する本線は現在、県道49号原町浪江線に

昇格している。(この先で、既に紹介済みの

鉄山支線が分岐している)

林鉄跡は、県道62号原町二本松線に合流する

までの間、畑や宅地に姿を変え、発見は難しい。

K62とは併用軌道だったのだろうか?

K62を西へと進む。

                     

軌道はここで県道から分岐する。

白線がある舗装道がK62、

右に分岐している砂利道が軌道跡である。

 

 

 

 

現在は奥に見える民家への私道にしか見えない。

実際、それ以外の用途はないようだ。

こりゃーまいった。 苦手な軒道になるのか?

 

 

 

 

 

畑でお仕事中のおばあさんに挨拶しつつ進む。

なんとか無事に通過。 暑いのに冷や汗が出る。

民家の脇を過ぎると轍は消え、幅員はそのままに

作業道に変わる。

奥に何か見えてきた。

 

 

 

作業道は水無川で行き止まりだが、

林鉄はここで橋を渡り、対岸に渡っていた。

石積みの橋台がまだ残存していた。

河床に橋脚は見られず、こちらの岸の橋脚は

護岸工事のため消えていた。

どんな橋が架かっていたのだろうか?

木橋だろうか?

[2009.02]追記

水無川橋梁は立派な鉄製ガーダー橋だった模様。

 

対岸に渡った軌道は、ほぼ直角に左折し

西へ向っている。

道床は藪にも覆われず、現在でも使用されている

様子が窺えるが、あそこに行くには「軒道」を

通らねばならず、今回は断念した。

 

 

 

川の対岸に渡った道床は、山と水田の間を進み、

民家の裏を通り、高倉文殊堂の参道を横断して

その先で車道と合流する。

細い車道をくねくねと進むと十字路に出る。

 

 

 

 

この十字路は直進する。

正面に見えるのが軌道跡である。

 

 

 

 

 

直進すると、すぐに砂利道になる。

路肩に朽ちた標識がある。

 

 

 

 

 

 

軌道跡はここから「松落合線林道」になっていた。

築堤や浅い掘割りが点在し

「なるほど、軌道由来の林道だわい」と

観察しながら車を進ませる。

 

 

 

 

 

 

2km程走ると、林道終点の広場に着く。

終点の広場から、今上ってきた軌道由来の

林道を振り返り撮影する。

 

 

 

 

広場からは一本の細道が伸びている。

徒歩でしか入れないこの道が、

新田川線の軌道跡である。

これから始まる長いレポの全てが

ここから始まるのだ。

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