日本硫黄林用軌道1 (猪苗代町)   2006.10        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

  「続・懐かしの沼尻軽便鉄道」に掲載された僅か数行の文章が、この路線に関する資料の全てである。

  沼尻鉄道が開通し、石炭が運ばれて来るようになるまで精錬所で使う燃料は、付近の山から産出される薪炭に頼っていたこと。

  近接する山の樹木を全て伐採し尽くしてしまうと、遠く横向山・梵天滝ノ沢国有林まで軌道を敷設して馬で運んだこと。 以上である。

  設置年も全長も、軌間も全く判らない。 「横向山」、「滝ノ沢」の地名も現在の地図には見られない・・・。

  しかし、少ないキーワードを参考に地形図や航空写真を眺めると、梵天川上流部から、精錬所跡に達する一筋の道が見えてきた。

 

車道林道や、点線で示された歩道を繋いで赤線を引いてみたのが

左の図である。

約6kmほどが、一本に繋がった。 偶然かも知れない。

想像で作った地図を手に現地に赴いてみた。

国道と交差する「中間点」を探索の起点にして、

始めに北側、次に南側を探索する。

 

なお路線名は仮称である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


  <中間点より北側>

沼尻鉄道の沼尻駅跡から国道115号線を北上、

土湯峠へ向かって上って行く。

やがて馬車軌道跡と国道の交差点、と仮定した場所に到着する。

ここを「中間点」として探索を開始する。

右奥に見えるのは新旧国道の分岐点。

 

             

左側には黄色と黒のポールが立っており、

林道の入り口だと思われるが、この道は地図に表記がない。

あやしいので入ってみる。

 

 

 

 

 

いきなり急な下りになっているが、すぐに坂も舗装も途切れる。

砂利の部分が当時の軌道の道床だろうか?

進んでみる。

 

 

 

 

 

砂利道に入ってすぐ、道は途絶えていた。

対岸に道跡は見えず、橋があった様子もない。

なんだ?この道は?

あの立派なポールはなんだったのだ?

 

 

 

 

戻ろうとして、国道側の法面に視線を向けて驚いた。

まるで似つかわしくない、古風な石垣が現れたのだ。

 

 

 

 

 

 

付近の河原で採取したと思われる丸石を積み上げた石垣。

隙間にはモルタルの充填すら見られない。

これこそ薪炭を運んだ馬車軌道の遺構ではないだろうか!

 

 

 

 

 

洗濯機や布団などの不法投棄ゴミにもめげずに観察。

自然石だが、互い違いに積まれている様子が伺える。

夏には藪に覆われて見られなくなるだろう。

 

 

 

 

 

高低差から考えて、軌道は石垣の手前ではなく、

上を通っていたと思われる。

この先にも道床が続いているようだが、

密集した藪に阻まれて侵入不能であった。

 

下の段が林道だったのであろうか。

 

 

北側から南側を振り返る。

たとえ無理して進んでも、やがて軌道跡は国道の擁壁の下に

飲み込まれてしまう。

 

沼尻鉱山の精錬所は画面奥に見える山の上にあった。

皆伐されたらしく、今でも上部には大きな木が見られない。

全て精錬所の燃料になったのだ。

 

 

 


[2007.07] 追記

その後、新たに資料を発見。

「猪苗代町史」によると全長は6.5km、「梵天川と朱沢にインクライン」(!)との記述があった。

さらに「鉱山(ヤマ)の男たち」には、この馬車軌道の地図まで載っていた。

そしてそれらの資料により、上記地図の「中間点」より北側は完全に誤りであることが判った。


よって、これより以下と次の「日本硫黄林用軌道2」で紹介したルートは、軌道とは全く無関係である。

 


 

軌道跡は国道の下を斜めに横断して、

やがて反対側に姿を現す。

(上の画像は、このトンネルをくぐった先から見たもの)

 

 

 

 

同じ場所から北側を望む。

軌道跡は林道に転用されて存在しているようだ。

橋台などの痕跡はなかった。

 

 

 

 

 

国道との接続路(左)を経て、北へと伸びて行く。

 

 

 

 

 

 

 

軌道跡は国道に沿って、かなり低い位置を通っている。

やがて前方に障害物が・・・。

 

 

 

 

 

 

車道化されてしまった軌道跡のこと。

無理して進んでも得られるものは無さそうだ。

国道に戻り、ずっと先まで迂回する事にした。

 

 

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