日本硫黄千貫軌道4 (猪苗代町)   2007.04        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


倒木と土砂崩れが連続する危険地帯を脱し、ようやく平場に出る。

そしてここには大興奮モノの遺構があった。

 

 

 

 

 

 

自然石を積んだ築堤である。

おそらく、すぐ脇を流れる長瀬川の河原から

適当な大きさの石を選んで、ひとつひとつ手で運んでは

積み上げたのであろう。

なんとも簡素な築堤である。

 

 

 

この部分だけが窪地になっており、

泥濘地にでもなっていた為の施工だろうか。

荒々しく積まれた石垣を興奮しつつ鑑賞する。

 

 

 

 

 

築堤の先、道床は森の中へと進んで行く。

ここにも注目の遺構が眠っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

小川に小さなコンクートの橋が架かっている。

メンテナンスが成される事もなく100年近く放置され、

荒廃が進んでいるものの、今でも現役だ。

沼尻軽便の第二麻秀川橋梁と比べても

かなり簡素なものであることが判る。

 

 

 

対岸の小山から撮影。

橋台付近のみ石垣で補強されている。

よく見れば足元の小山は古い炭焼き窯のようだった。

 

 

 

 

 

<金掘駅付近>

橋を渡ると穏やかな森の中に入る。

藪になることもなくルートは鮮明だ。

金掘駅はこの辺りに予定されていたと思われる。

 

 

 

 

少々ゴミが散らばり、人の往来を感じさせる森を抜ける。

ここからは鉄塔の管理道路として利用されている模様。

 

 

 

 

 

 

 

 

管理道路とは言え、こうなると完全に車道だね。

こんな調子でずっと反対側まで続いているんだろうな、

と思うと好奇心も激減してしまう。

 

 

 

 

 

途中にダムがあったの寄ってみる。

取水口や管理棟は対岸であった。

つまらん。

 

 

 

 

 

 

 

「福島県」の標柱などを見つつ、しばらく進む。

管理道路は緩やかな上り勾配になる。

実はこの先へ進んでから気が付いたのだが、

軌道跡はここで左に分岐していたようだ。

しかし樹木に覆われ、道床は荒れている。

 

 

 

「軌道跡にしてはキツイ勾配だなー」とか思いつつ、

「切り通しがあるぞ」と喜んで撮影したわけだが、

まあ、現時点では無関係の可能性が高い。

 

 

 

 

 

こんなカーブも鉄道曲線を思わせるが、

実は無関係っぽい。

 

この路肩から崖下を覗き込んでみる。

 

 

 

 

そこには細長い線形が見られるのである。

あちこちに転がる岩石は、管理道路を開削す際に発生した

残滓なのではなかろうか?

そのため、この「道床」は所々埋もれており、

追跡も困難なら軌道跡である、との考証も困難にしている。

 

 

 

軌道跡らしき道の追跡も不可能になり、

かと言って、軌道とは無関係の道を歩くのもつまらない。

引き上げ時か・・・・。

 

 

 

 

 

正面に見えるのは吾妻連邦の西端に鎮座する

西大巓(にしだいてん)1982mだろうか?

お花畑や池塘がきれいだったなー。

・・・・。

レポがまとまらないので話題を逸らしてみる。

往生際の悪さは天下一品だな。

 

 

失意の帰路は、完全にハイキングに変更。

アニマルウォッチングなどしつつ歩く。

これはシカかカモシカが樹皮を食べた食痕。

まだ新しい。

今年の暖冬と関係あるのか、よほど飢えていたのだろう。

 

 

 

 

 

この幾何学模様はサルの食痕。 やはり新しい。

樹皮を剥ぎ取り、甘皮の部分を削ぐように食べたようだ。

 

ちなみにこのルートは野生動物の痕跡が非常に多く、

ウサギ、キツネ、サルなどの落し物を踏まずに歩くのは不可能であろう。

クマに遭わなかったのは僥倖か。

 

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