東北本線・白河〜久田野1 (白河市) 2006.05        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

明治20年(1887)日本鉄道として開通したが、

その後の度重なる路線の付け替え、改良によって

開通当時とは全く異なる所を現在線は通っている。

そんな白河駅周辺の内、今回は駅の東側を

探索する。

 

(開通時の白河駅周辺の様子)

 


まずは白河駅を訪れる。

大正期に東北本線の位置が大幅に変わったのだが、

その際駅の位置も変わり、現在の位置に新設された。

その時の木造駅舎が現在でも使用されているのだ。

大正ロマン漂う洋館風のデザインになっている。

 

 

内部は「市」の駅とは思えないような、

なんともローカルな雰囲気である。

ここだけゆっくり時間が流れているようだ。

 

 

 

 

              

おっと、改札口を見に来たんじゃない。

入り口を振り返ると、頭上に明り取りの窓がある。

これを見に来たのだ。

 

 

 

 

 

ステンドグラスが見られる優雅な駅なんてなかなか無い。

これだけでも来た甲斐があるってもんだ。

 

 

 

 

 

 

駅舎の南西側にNTTの高いビルがあるが、

あそこに白棚線の駅舎があったらしい。

ここから見ても、痕跡があるようには思えないので

行かなかった。

 

 

 

 

本線の築堤に沿って駅から東へ進む。

120mほど進んだ、この辺りに旧駅舎があった。

現在、それを思わせるような痕跡は全くない。

この車道が旧線跡という事になる。

 

 

 

坂を上って、ちょっと構内におじゃまする。

架線の向こうに小峰城が見えた。

 

 

 

 

 

 

更に東へ進む。

「線路+馬車道」だったのが、廃線後に

二車線の道路になったのだろうか。

交通量の割には、やたらと広い道なのだ。

 

 

 

 

やがて国道と平面交差する。

今は国道294号線だが、以前は国道4号線だった。

更にその前は奥州街道だった由緒ある道なのだ。

当然ここには踏み切りが設置されていたであろう。

旧線跡は正面の藪に続いている。

 

 

国道を跨ぐ橋には「陸羽街道跨線橋」とあった。

陸羽街道とは明治6年(1873)に、これまでの奥州街道に

付けられた名称である。

橋が架けられた大正期には既に国道4号線との

呼称になっていた筈だが、国鉄は橋梁名に

旧名を採用した。

現役のレンガ橋台に魅かれる。

 

国道の先の旧線跡は藪に覆われており、

更にその先は宅地になっている様子。

ここは迂回だ。

 

 

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