東北本線・白河〜久田野2 (白河市) 2006.05        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 

 

 

 

 

 

 


去年の3月にも訪れた士多町跨道橋まで迂回する。

坑口の南側を旧線が通っていたはずだ。

 

 

 

 

 

西の白河駅側を見る。

旧線跡には「熊ちゃん」が建ってしまっている。

民間に払い下げられたらしい。

 

 

 

 

              

東側には未転用で残っていた。

藪道のまま、阿武隈川に至るまで残っているようだ。

しかし足で確認する事なく、迂回する。

あまり面白そうじゃないので・・・。

 

 

 

 

阿武隈川西岸の堤防まで迂回。

築堤と水田の間にはっきりと旧線跡が残っている。

藪の中には境界標「エ」があるのかも知れない。

 

 

 

 

 

堤防上より東を望む。

旧阿武隈川橋梁の痕跡は何も残っていなかった。

この辺りは河川改修が頻繁に行われているので

仕方がないかな。

ちなみに、現在の鉄橋は当初から複線規格で

造られていたようだ。銘板によると、正式名は

「白河久田野間阿武隈川橋梁」という。 長いね。

 

対岸に渡り、築堤に上って東側を見る。

巨大な築堤が延々と続いている。

民家が建っている所が旧線跡だが、

それ以外の道床は水田になってしまったようだ。

 

 

 

 

ここまではずっと本線に密着して来たが、

川から東は、やや南に逸れて進んでいた。

旧線跡は耕地になってしまったが、昭和50年代までは

細長い区画として残っていたのが確認できる。

この痕跡も現在は圃場整備により消失している。

なお、昭和39年(1964)に行われた複線化工事の際、
同時に線形の改良も行われたようで、
この区間ではその痕跡が見られる。 →
こちら
上図では、ちょうど列車が通過中の部分だ。

 

同じ箇所を、もっと広範囲に見てみる。

黄色い点線が上で説明した部分。

その先の旧線跡は鮮明に残っている。

この写真が撮られた頃までは・・・。

 

 

 

 

ずっと東へ飛んで、羅漢踏切まで迂回する。

現在、踏切の東側は切り通しになっているが、

旧線はこの山を避けて南側を通っていた。

 

 

 

 

その山に上って、白河駅方面を望む。

S字を描く巨大築堤が水田に浮かぶ。

本線左側の水田を旧線が通っていたが、

現在は何の痕跡もない。

その延長は車道と重なってしまっている。

 

 

 

その車道を利用して、さらに東側の鹿島踏切に進む。

だいぶ新旧合流点に近づいてきた筈なので、

そのつもりで探すと、三角形の水田を発見する。

まさにここが合流点である証拠だ。

旧線跡には境界標まで残っている。

 

 

 

 

旧線跡を進む。

すると、正面に物置の土台のような物が見えてくる。

なんだろうか?

 

 

 

 

 

おお!橋台だ!! 

日本鉄道時代の遺構だろうか?

用水路に架かった小さい橋だが、造りは本格的だ。

 

水路は現役なので、その両側の橋台も

撤去されずに残されたようだ。

 

 

橋台自体は、ほぼ完全な姿で現存。

ところで、この橋台は上りと下りで仕様が異なる。

下り線が後から増設されて複線になったと思わせる

痕跡があるのだ。

 

 

 

 

北側の下り線には固定ボルトが残存。

桁が乗る部分はコンクリート製である。

 

鉄橋の錆がまだ付着している。

 

「県別マップル」の高さは、ほぼ30cmなので、
軌間は1067mmで間違いないようだ。

 

 

南の上り線にはボルトはなく、

同じ位置に直径7cmほどの穴が二つ開いている。

そして台座はコンクリートではなく、

橋台と同じ、石製である。

これは何を意味するものなのだろうか?

(単線>複線化>付け替え、でOK?)

 

 

橋台の南側には、歩行者用の橋も残る。

この小さな橋は生意気にも橋脚を持ち、

橋脚の上流側は水切りの為、三角の断面になっている。

過剰なまでに凝っている所が興味深い。

 

 

 

 

その先は藪が濃くなるため、正確な合流点は

判らなかったが、「エ」が点々と残っていた。

 

 

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取材中に撮ったショット。 ED75の重連である。

ええ、失敗ですよ・・・。

 

窓の上に「つらら切り」が付いた珍しい耐雪タイプなので掲載。

ED75 85+ED75 128