戸の口堰の利水2 (会津若松市) 2007.07 [TOP] [寄り道] [土木遺産] [発電所]
旧道と言っても、これは江戸時代の二本松裏街道の
沓掛峠から見た戸の口堰である。
現在は発電所から放流された水を潅漑に利用しているため、
本来の堰の流れは非常に細くなっている。
堰はこの後、峠を迂回して流れて行く。
人工の滝となって斜面を流れ落ちる水路は、
江戸時代の旅人に清涼感を与えたことであろう。
「金堀の滝」との標柱が立ち、ベンチまで設置されていた。
会津電力がこの落差を利用して発電所を建設したとの
記録があるが、詳細不明なうえに未探索である。 (会津若松史6)
遠くに東京電力・戸の口堰第一発電所が見えてくる。
少し前には右上の鉄管上部にいたわけだ。
発電所への入り口が判らずに右往左往したが、なんとか到着。
建て直されちゃってますなあ。
鉄管一本の発電所にしては、なぜか建物がやたら大きい。
手前の建物は変電施設だろうか。
竣功当時は木造平屋の物置のような建屋だったが、
現在はコンクリート製の大きな建物になっている。
なお、ここを第二発電所と表記している地図もあるが誤りである。
[2009.06]訂正を確認
3連石積みアーチの放水口。 この部分は完成当時のオリジナルと思われる。 しかし残念ながら現在は使われておらず、 放水は右側に設置された新しい坑口からなされていた。 クルマの左側に一段高くなった平場がある。 これが旧発電所のコンクリート製基礎だそうである。 なるほど、そう言われれば旧放水口の延長上にある。 会津の灯は、こんな小ぢんまりした発電所から始まったのだ。 [2009.06]追記 |
||
戸の口堰第二発電所の取水門がある。
現在は遠隔操作になっている所がほとんどだと思うが、
ここは常時開放なのだろうか?
水門を塞ぐゴミを引き上げ、運ぶ道具が一式揃っている。
やはり手動である(笑
旧国道に戻り、第二発電所を目指す。
画像の遺構は第二発電所よりもずっと先にあるのだが、
話の流れ上、ここにて紹介する。
石ヶ森鉱山の竪坑跡とのことである。
近くには「滝沢峠」の標柱が立つ。
あちこちにコンクリートの土台や廃屋が見られる。
後には銅や石膏なども産出したが、
昭和40年(1965)に閉山となった。
鉱山跡を通り抜けて急坂を下って行くと、
第二発電所が見えてくる。
水路や水門を俯瞰することができて、なかなか楽しい。
しかしここも建て直されてますなあ。
この上流にある集落が「金堀」。
古くから金を産出していたことが伺える。
発電所用の旧導水路を鉱山の通洞坑として利用した、
との記録があるが、これだろうか。
それとも狸掘の跡だろうか。
ほぼ垂直。
手作業での除草は大変そうだ。
余水は金山川に流される。
一番奥にあるのがそれである。
手前は金山川。
車でのんびりと移動する。
旧国道を進むと、並行する戸の口堰の旧水路が
道路脇に見られる。
猪苗代湖の水を会津盆地に引くべく、
会津の人々が江戸時代に手作業で掘った水路だ。
発電のための水が滔々と流れていた時期もあったのかも知れない。
細いながらも勢いよく流れている。
路肩の側溝と変わらない仕様が味気ない。
小柄な人がやっと入れる程度の隧道には、
今でも僅かながら水が流れていたが、おそらく地下水であろう。
飯盛山の隧道と違い、誰にも顧みられることはないようで、
ご覧のような荒れようである。
まあ、あちらは現役だからね。 これも追って紹介する。