戸の口堰の利水2 (会津若松市)   2007.07      [TOP]  [寄り道]  [土木遺産]  [発電所]

 

戸の口第一発電所に向かい旧道を進む。

旧道と言っても、これは江戸時代の二本松裏街道の

沓掛峠から見た戸の口堰である。

現在は発電所から放流された水を潅漑に利用しているため、

本来の堰の流れは非常に細くなっている。

堰はこの後、峠を迂回して流れて行く。

[2003.04]   

 

峠の下りが終盤に差し掛かる所で旧街道と交差する。

人工の滝となって斜面を流れ落ちる水路は、

江戸時代の旅人に清涼感を与えたことであろう。

「金堀の滝」との標柱が立ち、ベンチまで設置されていた。

会津電力がこの落差を利用して発電所を建設したとの

記録があるが、詳細不明なうえに未探索である。 (会津若松史6)

[2004.07]   

   

旧街道から旧国道に入り、金堀集落前を過ぎると

遠くに東京電力・戸の口堰第一発電所が見えてくる。

少し前には右上の鉄管上部にいたわけだ。

 

 

 

 

<戸の口堰第一発電所2> 明治45年(1912)

発電所への入り口が判らずに右往左往したが、なんとか到着。

建て直されちゃってますなあ。

 

鉄管一本の発電所にしては、なぜか建物がやたら大きい。

手前の建物は変電施設だろうか。

 

裏側に回ってみたが、謎は解けなかった。

竣功当時は木造平屋の物置のような建屋だったが、

現在はコンクリート製の大きな建物になっている。

 

なお、ここを第二発電所と表記している地図もあるが誤りである。

マピオンとかマップファンとか・・・。

[2009.06]訂正を確認

 

 

 

     
  3連石積みアーチの放水口。

この部分は完成当時のオリジナルと思われる。

しかし残念ながら現在は使われておらず、

放水は右側に設置された新しい坑口からなされていた。

クルマの左側に一段高くなった平場がある。

これが旧発電所のコンクリート製基礎だそうである。

なるほど、そう言われれば旧放水口の延長上にある。

会津の灯は、こんな小ぢんまりした発電所から始まったのだ。

[2009.06]追記

     

すぐ先に堰堤があり、右側には

戸の口堰第二発電所の取水門がある。

 

 

 

 

 

 

この水門は手動である上に木製であった。

現在は遠隔操作になっている所がほとんどだと思うが、

ここは常時開放なのだろうか?

 

水門を塞ぐゴミを引き上げ、運ぶ道具が一式揃っている。

やはり手動である(笑

 

 

<石ヶ森鉱山>

旧国道に戻り、第二発電所を目指す。

画像の遺構は第二発電所よりもずっと先にあるのだが、

話の流れ上、ここにて紹介する。

石ヶ森鉱山の竪坑跡とのことである。

近くには「滝沢峠」の標柱が立つ。

 

第二発電所への分岐付近に石ヶ森鉱山の選鉱場があった。

あちこちにコンクリートの土台や廃屋が見られる。

 

 

 

 

 

江戸時代初期に金山として開発され、

後には銅や石膏なども産出したが、

昭和40年(1965)に閉山となった。

 

 

 

 

 

<戸の口堰第二発電所> 大正8年(1919)

鉱山跡を通り抜けて急坂を下って行くと、

第二発電所が見えてくる。

水路や水門を俯瞰することができて、なかなか楽しい。

しかしここも建て直されてますなあ。

 

 

発電所脇を流れる川は「金山川」という。

この上流にある集落が「金堀」

古くから金を産出していたことが伺える。

 

発電所用の旧導水路を鉱山の通洞坑として利用した、

との記録があるが、これだろうか。

それとも狸掘の跡だろうか。

 

発電所脇にある、物凄い勾配の余水路。

ほぼ垂直。

手作業での除草は大変そうだ。

 

余水は金山川に流される。

 

 

 

 

 

第二発電所のすぐ前に、第三発電所の取水口がある。

一番奥にあるのがそれである。

手前は金山川。

 

 

 

 

 

第三発電所はやや離れたところにあるので、

車でのんびりと移動する。

旧国道を進むと、並行する戸の口堰の旧水路が

道路脇に見られる。

 

 

 

 

旧水路は深い切り通しになっていた。

猪苗代湖の水を会津盆地に引くべく、

会津の人々が江戸時代に手作業で掘った水路だ。

 

発電のための水が滔々と流れていた時期もあったのかも知れない。

 

 

 

 

 

旧水路を撮影する私の足元を、現在の戸の口堰が

細いながらも勢いよく流れている。

路肩の側溝と変わらない仕様が味気ない。

 

 

 

 

 

旧水路には隧道も開削されていた。

小柄な人がやっと入れる程度の隧道には、

今でも僅かながら水が流れていたが、おそらく地下水であろう。

飯盛山の隧道と違い、誰にも顧みられることはないようで、

ご覧のような荒れようである。

まあ、あちらは現役だからね。 これも追って紹介する。

 

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