旧国道121号線・非道隧道2 (下郷町) 2004.11 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
廃れ方を予想し、相当気合を入れて
家を出たのだが、拍子抜けであった。
普通の林道と大差ない。
今でこの状態なら、素掘りの狭い隧道なんて
とうの昔に切り崩されているだろうなー。
倒れたガードレールがあった。
この先にもあるだろう、と考え
撮影もしなかったが、結局これが唯一の
ガードレールであった。
(これは帰路に撮影)
巨大な「壁」が聳え立っていた。
会津鉄道の線路がその上に載ってる筈だ。
あっ、会津鉄道は現役ですからね。
旧道入り口で見た若水橋である。
手前は歩道橋で、奥にあるのが
国道121号線の若水橋である。
二車線あったと思われる。
確かに平らな面を左右いっぱいに使えば
なんとか離合できそうな幅員がありそうだ。
奥に何か建物が見えてきた。
旧道はこいつのおかげで廃道化せずに
存在し得たのかも知れない。
(画像は観測所)
倒木が放置され、轍も無くなる。
路面自体はしっかりしている。
廃林鉄の橋梁跡じゃありませんよ、
くどいですが。
しかし列車の運転手って、度胸あるなー。
巨大な落石も放置されたまま。
路肩の桜は意図的に植えられたらしく、
並木になっている。
藪になっておらず、快適に進む。
「すげー」などと見惚れていると、
足元の道が急激に狭くなっているのに気付く。
そこだけ狭くて、平らで、しかも宙に浮いている。
ん? 宙に浮いてる??
一面、草に覆われていて、
しかも欄干も親柱もないので判り辛いが、
紛れもなくこれは橋だ。正しくは桟橋だ。
よく見れば、コンクリート製の欄干の残骸が
一片だけぶら下がって残っている。
橋の存在は、全く予想していなかったので興奮した。
コンクリート製の橋台に鉄骨の橋桁。
現在と変わらない構造である。(戦後竣功か)
明治期はどのような橋だったのだろうか。
路肩が崩落してしまったための措置として、
新設された桟橋のようにも見える。
幅員は6mほどだろうか。
国道の橋としては非常に狭い。
現役時は橋の前後で対向車通過待ちか。
上が会津鉄道、下が旧国道の桟橋。
下に黒く見えるのが阿賀川である。
垂直の岸壁をへつるように線路と道路が通っている。
その凶悪な環境に圧倒される。 凄まじい光景だ。
これで路肩にガードレールなんて無いんだからねぇ。
地図上ではこの辺りに「比戸岩」とある。