国道49号線旧道・小出峠 (西会津町) 2004.10   [TOP] [寄り道] [廃道Web]

 

  <プロローグ>

江戸期の越後街道は車峠を越えていた。

明治になって峠道は馬車道として改修され、

その後改修を重ね国道49号線に昇格した。

その国道も車トンネルの開通により旧道と化した。

(画像は旧国道・車峠と、今も残る標識)

 

 

  しかし明治期に会津三方道路として開通した当初の新越後街道は車峠を通っていなかった。

  三島通庸が強引に通したそのルートは「雪崩の危険が高い」「車峠ルートより遠回り」などの理由により、

  わずか数年で廃止されてしまい、再び車峠がメインルートに戻されることになった、という経緯がある。

  よってこのルートは旧国道ではない。が、R49の旧旧道に当たることから「R49旧道」との表題とした。

  「49号線」という呼称以前に廃され、交通史の行間に消えたルートに光を当ててみたい。

 

越後街道・下野尻宿の東端から北に分岐する道は

江戸期から存在していた。

明治15年(1882)、福島県令に赴任した三島通庸によって、

この杣道が馬車道に改修され、新たに越後街道になった。

上野尻を出た道は下野尻、車峠へは向わず、手前で北に折れ、

端村(はむら)の西を通って阿賀川沿岸を北上していた。

黄色

 現R49  

オレンジ

 実線が旧R49、点線が江戸期の越後街道  
の点線  磐越西線 大正3年(1914)開通  

ピンク

 会津三方道路(明治期の越後街道)  

  

阿賀川に沿って北上した道は

そのまま徳沢には向わず東に折れ、

小出峠(おいで)を越えて

宝川(ほうがわ)の南で旧越後街道に

接続していたという。

以上が開通当初のルートであった。

  しかし「小出峠」は地図上に表記がない。検索してもヒットしない。事前情報全くなし・・・・。

  現状が全く掴めない謎の峠なのである。

  これには困った。上の図も点線部分は想像なのである。

  本当に実在したのだろうか。どんな峠なのだろうか。

               

小出峠の資料は偶然、身近な所で見つかった。

目前にある私のパソコンのHDに保存されていたのだ。

ネタ元は、「福島県立図書館デジタルライブラリー」

ここに「河沼郡群岡村地内字ヲイテ峠掘割ノ景

が収録されていた。

ヲイテ峠!!

 

  これこそが探していた「小出峠」に違いない。

  そしてそこには見晴らしの良さそうな深い切り通しが写し出されていた。 小出峠は実在した!

  うおお!これは見たい!ぜひ行きたい! 忘れ去られた峠への憧れは一気に高まった。

 

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