猪苗代第二発電所工事軌道 (磐梯町) 2005.10 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
<大寺専用鉄道>(1916)
実は、この工事軌道の存在を証明する資料は無い。
よって、無かった、という可能性もあるのだが、
あった、と信じてレポを進める。
[2007.07] 追記 「河東町史・下巻」に軌道のルートに関する記述あり。
猪苗代第二発電所を建設するための工事軌道は
磐越西線からC地点で分岐するのではなく、
大寺駅から専用線が敷設されていた。
その後、大きなカーブを描いて日橋川沿いに進み、
発電所の対岸に達していた。
右側の藪の中にレールが見られるが、
これは工事軌道とは無関係。
しかし、位置はこの辺りを通っていたと思われる。
藪に覆われてレールは見えないが、
道床らしき空間が存在している。
しかし、水路上にも橋梁の痕跡などは見られず、
工事軌道の存在を証明するような遺構は
発見できない。
本線の南側、画像では右側を通っていた筈だが、
狭い空間しか見られない。
架線柱が立っている辺りが道床だろうか。
本線に沿っての探索が不可能なため、
スポット的に接近するしかないのが悔やまれる。
ここから築堤上に上ってみる。
画像右方面に軌道が分岐していたはず・・・、
と思って見ると、なんとなく築堤のようにも見える。
道床らしき痕跡が鮮明になる。
藪が濃くて、接近できないのが残念。
この先は、工場の敷地になってしまい、
軌道跡は消失したようだ。
仕方なく、旧旧県道に入る。
一段下のススキに覆われた所が、軌道跡だと思われる。
下った所で振り返る。
奥でススキが光っているのが上図の地点。
そこから手前に軌道が通っていたようだ。
凄まじい藪になっていた。
側面からの接近を試みる。
軌道の路肩は、自然石で補強されていた模様。
結局、進入は断念した・・・。
振り返り見る。この「上り」と「下り」の間に
軌道が敷かれていたようだ。
当時、ここには踏切があったのだろうか?
良好に残されている。
その先は激しい藪に覆われていた。
右奥に見える第二発電所の対岸まで
軌道が続いていた。
重量のある発電機を、どうやって川向こうの現場まで運んだのだろうか。
橋を架けてしまった方が効率的と思われるが、そのような記述はない。
現在は取上橋というコンクリート橋が架かっている。
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