猪苗代第三発電所工事軌道 (磐梯町) 2005.10       [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

 <大寺専用鉄道>(1924) 

土木図書館・デジタルアーカイブス」内
土木建築工事画報」第2巻5号(大正15年発行)より引用

 

工事用材料運搬の為め、磐越西線大寺駅より

第三発電所迄延長3.4哩(大寺専用鉄道)、及び

同線広田駅より第四発電所迄3.0哩(広田専用鉄道)

何れも二十五封度軌条を以て、軌間二尺六寸の

専用軌道を布設し、電気機関車を運転せしむ

 

  第二発電所が大正7年(1918)に完成したため、工事用軌道は同時期に撤去されたと思われる。

  しかし6年後の大正13年(1924)、第三発電所の建設が着工された。

  そのため、第二発電所用の工事軌道跡に再びレールを敷設し、さらに延長して第三発電所工事現場まで

  達していたと思われる。(軌間は国内標準軌の1067mm。工事用や電気機関車の電力は第二発電所より供給された)

  よって、D地点までは、前項と重複するので省略する。

 

第二発電所用の工事軌道は、このまま伸びて

発電所まで達していたが、第三発電所用の工事軌道は

この少し奥で折り返していた。

つまりスイッチバックになっていたのだ。

 

 

 

 

軌道は旧旧県道の間を再び通り、

大寺駅からの軌道を右側に見つつ、

さらに奥へと進んでいた。

肝心の分岐点は、濃い藪に阻まれ

確認できなかった。

 

 

              

日橋川北側の軌道跡は、旧県道建設時に

埋められてしまったようだ。

奥に見える日橋川橋のすぐ下流に

日橋川橋梁が架かっていた。

 

 

 

旧県道・日橋川橋上から見下ろすと、

橋台があるのが見える。

ススキの帯が軌道跡だと思われるが、

この橋台は工事軌道の痕跡ではなく、

県道橋の旧橋の痕跡である。

 

 

 

工事軌道の日橋川橋梁は、途中に一つの橋脚を持つ

アンダートラスの鉄橋であった。

河床に建てられた橋脚の痕跡は全く消えていた。

画像は、対岸にある県道橋の旧橋の橋台。

 

 

 

 

 

 

西岸橋台の西側の状況。

左の舗装道が旧県道。

中央の砂利道が軌道跡である。

 

旧県道を利用してあそこまで行ってみる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

西岸橋台付近から、旧県道・日橋川橋を見上げる。

これだけ高低差がある。

 

 

 

 

 

 

東電の管理用道路となった軌道跡を進む。

向こうには現県道の新日橋川橋が見える。

 

 

 

 

 

 

遥か頭上を通る新日橋川橋の下をくぐり、さらに進む。

この辺りは、低い築堤状になっている。

 

 

 

 

 

 

単調な砂利道をしばらく進むと、

低くて長い切り通しが現れる。

やっと鉄っぽくなってきた。

 

 

 

 

 

切り通しの法面は、自然石による石垣で

細々と補強されていた。

工事軌道時代のものではないだろうか?

 

 

 

 

 

低くて長い切り通しが、もう一つある。

路肩には近代的な排水溝が設置され、

車道としての改良が進んでいる。

その側溝も法面からの土砂の流入により

埋もれ気味である。

 

 

 

発電所が近づいてきた。

左へ向う道が軌道跡だと思われる。

 

 

 

 

 

 

小さな森を抜けると、猪苗代第三発電所が見えてくる。

あそこまで軌道が延びていた筈だが、

工事中のため接近不能であった。

「終点」らしき痕跡など、残ってないであろう。

  「猪苗代第三発電所」のレポートはこちら

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