日本硫黄千貫軌道1 (猪苗代町)   2006.10        [TOP]  [寄り道]  [廃線Web]

 

日本硫黄は大正2年(1913)に沼尻鉄道を完成させたが、既に第二期路線も計画されていた。

それは沼尻鉄道・樋ノ口駅の北側で分岐し、長瀬川に沿って北上、秋元湖西岸の千貫集落に達する約6kmの路線で、

主に森林資源の輸送を担う予定であった。 (長瀬川の西岸を通る猪苗代林鉄の着工は大正9年)

沼尻鉄道完成の翌年には着工し、大正4年(1915)には道床まで完成したが、世界的な不況の影響で中止されてしまった。

なお計画では千貫よりさらに北へ延長し、小野川湖畔を通り、桧原湖まで達する予定もあった。 (「懐かしの沼尻軽便鉄道」より)


[2007.09]追記

「猪苗代町史」によると、軌道ではなく当初から馬車道として計画され、しかも千貫ではなく桧原湖畔までの道が「完成した」との記述があった。

木材や住民、更には裏磐梯への観光客の輸送も想定した馬車道として大正3年(1914)に着工。

翌年4月には秋元までの5km区間が完成した。8月には秋元〜小野川湖〜桧原湖の6.5kmが竣功し、全線が開通した、とあった。

また「会津の堰」には、小野川発電所建設工事(昭和12年完成)の際に「樋ノ口駅から長瀬川左岸にある幅2mの道を使った」、とある。


[2008.02]追記

硫黄の輸送を馬車から鉄道に換えた所その効果は絶大であったため、今後木材輸送の増加が見込まれる裏磐梯地区に着目。

まずは馬車道の敷設を大正3年(1914)10月に着工。翌年4月に秋元湖・千貫までの5kmが完成した。

続けて秋元湖から小野川湖を経て桧原湖に至る6.5kmの馬車道にも着工し、同8月には完成した。

こうして開通した全線11.5kmの馬車道は木材輸送に大きく貢献し、また秋元、小野川発電所建設の資材輸送にも利用された。

大正12年(1923)、硫黄の国際価格の上昇に伴い増産体制を整える。同時に秋元湖までの馬車道を軌道化する計画が具体化。

営業許可を得て線路や停車場の用地も確保したが、その後不況になり停滞。

何度かの着工延期を経て、昭和6年(1931)ついに特許を返還するに至った。  (「日本硫黄の記録」より)


[2009.01]追記

「日本硫黄沼尻鉄道部(上)」ではこれらと大きく記述が異なる。

樋ノ口から分岐し、千貫に至る7.2kmの軌道の特許が出たのはとずっと遅く大正9年(1920)とあるのだ。

しかし軌道が敷設されることはなく昭和6年(1931)に特許を返還した、というのは同じ。

大正2年(1913)   沼尻鉄道が完成
大正3年(1914)   長瀬川東岸に馬車道着工
大正4年(1915)   4月、千貫まで完成。8月、桧原湖まで全通
    ・・・馬車道を軌道化する計画が浮上・・・
大正9年(1920)   千貫までの馬車道を軌道化する特許を得る
昭和6年(1931)   特許を返還

大正3年(1914)の着工時点で軌道化の構想があったのかどうかは不明だが、翌年完成した馬車道はしばらく使用された。

沼尻鉄道が好調なためこの馬車道の軌道化が具体化し、大正9年(1920)に特許を得たが、不況のために実現しなかった。

ということになろうか。


[2009.03]追記

国立公文書館のサイトで興味深い書類を発見した。

大正12年09月18日   福島県知事発 延長線工事着手報告 内務大臣、鉄道大臣宛
大正13年12月03日   延長線工事竣功期限延期の件
大正14年11月07日   軌道工事竣功期限延期の件
昭和01年10月12日   第二期線工事竣功期限延期の件
昭和02年11月14日   吾妻、若宮間工事竣功期限延期の件

「延長線」とは千貫軌道のことだろうか。

「工事着手」とあるので軌道化工事が進行したことが伺える。

実際には路盤の拡幅に着手した程度のまま停止してしまったのかも知れない。


 

ピンクの実線は沼尻鉄道

赤い点線が未完で終わった千貫軌道である(一部推測)

 

名家、金堀、川上、千貫の四つの駅が計画されていた。

ここで言う「駅」とは、旅客のための停留場だろうか?

沿線の人口は極めて少ないので、土場のことかも知れない。

 

名家と金堀の間には、現在の地形図にも点線が描かれている。

これを軌道跡と推定した。

 

なお路線名は仮称である。

 

 

 

 

 

 

黄色の点線は沼尻鉄道。

緑の点線は当時の県道。

 

「懐かしの沼尻軽便鉄道」に当時描かれた路線図が載っている。

それによると路線はB-Dと直線で結ばれている。

現在、Bの痕跡は完全に消失、Dは一部残存している。

しかし現場を訪れてみると、Aだった可能性も浮かんできた。

Cの部分は県道と併用だったとも考えられる。

 


[A]

酸川北岸から南の樋ノ口方面を望む。

実際には架けられなかったと思われるが、

橋はこの辺りに架ける予定だったと思われる。

沼尻鉄道の酸川橋梁は少し上流(左)にあった。

 

 

同地点より北を望む。

道床は、奥に見える秋元発電所の横を通っていた。

この畦道Aが千貫線の道床だろうか?

行ってみよう。

 

 

 

 

発電所の前まで来ると、道は微妙な曲線を描く。

机上調査では、路線図通りB-Dがそれであろうと疑わなかったが、

現地でこれを見つけてしまい、迷いが生じた。

 

 

 

 

おそらく地下には導水管か側溝でもあるのだろうが、

この線形は思わせ振りだ。

さらに不思議なことに、コンクリートに覆われているのは

この部分だけなのである。

 

 

 

 

逆から見てみる。

幅員といい曲線といい、軌道跡のように見えてしまうが、

それにしては半径がキツ過ぎるか。

 

 

 

 

 

[C]

発電所の前を通った軌道は、すぐ先で北に折れる。

これが旧県道のルートである。

現在は直進するパイパスがあり国道459号線になっている。

B-Dは、正面の林のすぐ奥を通っていた。

 

 

旧県道に入る。

この先の長瀬川に架かっていた橋が撤去された為、

通り抜けはできず「この先800m 通行止」になっている。

その標識自体が、もうこの有様だ。

橋が撤去されたのは、だいぶ以前のことらしい。

 

 

 

狭いが舗装された旧県道を進むと、奥に煙突が見えてくる。

ゴミ焼却場の跡である。

軌道はこの旧県道を通っていたのだろうか。C

それとも左の水田の中を貫いて通っていたのだろうか。D

 

 

 

 

ゴミ焼却場の前に分岐がある。

直進が旧県道で、すぐ奥の長瀬川で行き止まり。

右折するのが軌道跡である。

 

 

 

 

この分岐に町が設置した林道標識がある。

ここが名家林道の起点で、総延長は5400mとある。

5km先というと千貫の集落になる。

どうやら軌道跡は林道になり、町が管理しているようだ。

 

 

[2007.04]追記

 

ゴミ焼却場は撤去されることもなく、荒れるに任されていた。

誰かが勝手に粗大ゴミなどを捨てているようで、

荒んだ光景を晒している。

 

 

 

 

 

[D]

ゴミ焼却場前から南方を見ると、Dのラインが見える。

路線図通りなら、これが軌道跡という事になる。

奥が樋ノ口方面。

 

 

 

 

Dを少し歩いてみる。

築堤状の道床、緩やかな勾配。

いかにもそれっぽいが、これだけでは軌道跡なのか、

近代的に整備された農道なのか、判断はできなかった。

 

 

 

 

ゴミ焼却場から先は砂利道になる。

この奥にある砕石場に入るダンプが頻繁に往復するため、

路盤はガチガチに踏み固められている。

道路脇には長瀬川用水が流れる。

 

この奥が名家駅の予定地であったが痕跡はない。

 

 

その長瀬川用水の取水門付近に、

なぜかJR東日本の銘がある貨車が放置してあった。

これは何? こんな山奥になぜ?

 

 

 

 

 

森の中の硬い未舗装道を進む。

これだけ変わってしまうと、これを軌道跡である、

と言い切って良いのかどうか迷う。

藪の中に、人知れず築堤が残っていたら面白いのになあ。

 

 

 

 

しばらく進むと、暗い植林地帯を抜けて明るくなる。

ここにゲートのような支柱と廃屋がある。

 

 

 

 

 

 

その先に採石場がある。

長年に亘り採石したため、山が半分なくなっている。

最上段ではパワーショベルが稼働中だったが、

どうやって上ったのだろうか?

 

 

 

車で行けるのは採石場の先にある広場までで、

ここからは徒歩での探索になる。

電線の保守にでも入るのか、踏み跡がある。

行ってみよう。

 

 

 

 

すぐ先で路肩が崩れて、道が消失していた。

迂回して進む。

 

 

 

 

 

 

藪が濃くなってきた。

奥に露出した岩肌が見えている。

あれかっ!

 

 

 

 

 

どうやら千貫線の遺構らしい。

長瀬川東岸の岩壁を削って通したらしき道床が、

当時のままの状態で残存していた。

こんな険しい地形は、沼尻鉄道沿線には無かったぞ。

藪を掻き分け、落石を乗り越えながら進む。

 

 

 

さらに道は続いているが、この辺が限界か。

路盤の状態は悪くなるばかりだ。

あっ、と言う間に撤収!

 

 

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