束松峠・昭和新道 プロローグ 2004.06 [TOP] [寄り道] [廃道Web]
<歴史>
茶屋が二軒あった。
餡餅が名物だったこの峠の茶屋は、
なんと昭和30年代後期まで営業していたという。
今は土台石が残るだけだ。
馬車も通れる新道が開削された。
江戸期の峠の北側に洞門が穿たれ、
ここが新たに束松峠になった。
マピオンで位置を確認する。
最も南の赤十字が江戸期の束松峠で、
明治期の峠=洞門は約200m北にある。
しかし、「束松峠」の表記(赤い矢印)は
明治期の峠=洞門のさらに600m程北にある。
これは何だ?
<考察>
新しい道が開削される度に、峠の位置も変わることは各地で良く見られる。
とすると地図上の束松峠と前後の道は、明治以降に新しく開削されたことになる。
調べてみた。すると資料には、
「現在束松峠の注記がある所は、戦後開設の新しい峠である」とあった。
・・・・なんだと?戦後開設の新しい峠だと?
なんと、昭和の束松峠が存在したのである! しかも開通は戦後だという。
当然、自動車の通行を前提に作られたであろうから、明治の馬車道などとは比較にならない
本格的な車道であろうと思われる。
それがどうだ、今では点線表記の徒歩道だ。
いったい昭和の新道とは何なのか? 現在はどうなっているのか?
ガードレールはあるのか? 峠に白看なんかあったら、かなり萌えだ!
そもそも国道49号線開通後にも関わらず、なぜここに道を通す必要があったのか?
存在意義すら疑問に思える、謎のルートだ。
いろいろと妄想を膨らませながら探索を開始した。
西側・軽沢から入る 1