国道118号線・旧道 鳳坂峠1 (天栄村) 2005.04  [TOP]  [寄り道]  [廃道Web]

 

  <動機>

南会津へ向かうルートとしてこれまで何度も通った国道118号・鳳坂峠だが、

2004年11月、初めて峠の東口に石碑がある事に気が付いた。

鳳坂嶺 道路改修記念碑」とある。

這って上るような急坂→這う坂、が鳳坂峠の由来とされ、

現在でも難路とされる峠越えの道であるから、

以前より改良工事が繰り返し施されたであろうことは想像に難くない。

 

この石碑は、いつ頃建てられたものであろうか。

(当初は峠に設置されていた可能性もある) 

 

 

裏側を見るとそこには「明治四十三年」との陰刻があった。

1910年、今から95年前の建立である。

どうやら明治後期に大改修が実施されたようだ。

確かに峠の途中には苔むした石積みの法面などが見られる。

明治期はどうようなルートを通っていたのだろうか?

現状はどうなっているのだろうか?

この石碑を見て調べてみたくなった。

 

 

 

 

石碑の裏面下部には「田島街道改修記念」とある。

鳳坂峠を越える道は現在では国道118号線だが、

1992年までは県道須賀川田島線であった。

中通りの須賀川から鳳坂峠を越え、南会津の要・田島に向かうこの道を

「田島街道」と呼ぶのは、ごく当然な事であろう。

もしかしたら江戸期からの名称なのかもしれない。

 

 

 

 

現在の鳳坂峠の様子。

この長大な切り通しは明治の仕事ではあるまい。

現代的な施工だ。

明治の道はどこにあるのだろうか。

 

 

ここまで2004.11

 


  <机上調査>

「それ」は古い航空写真に残されていた。

撮影年度は昭和51年。

現在の地図には全く記載のないルートがはっきりと写し出されていたのだ。

左図で「廃道区間」と示した部分である。

今では点線の表記すらない。

 

 

 

昭和28年発行の地形図「長沼」を見ると、

まだ羽鳥湖が描かれてない。

昭和31年竣功のこのダム湖により、付近の道路は大幅な

路線変更を余儀なくされ、旧道は貯水により水没した。

図の「廃道区間」はそれ以前から存在し、

かつ水没を免れた古い車道である。

「新設区間」はずっと後に、バイパス道として開通した。

 

  <解説>

  鳳坂峠から西に下ると、旧道は左に分岐する。国道と県道の間の狭い区間を地形に沿って下ると、

   やがて県道58号矢吹天栄線に合流する。以前はここがK58の終点であった。(旧分岐点)

  旧分岐点から西は、現在はK58になっている。しばらく進むとR118に接続するが、(新分岐点)

  当時はT字路は存在せずヘアピンになっていた。現在はバイパス道が接続したためT字路の形状を成している。

 

  では、現地に行ってみよう。


 

 

 

 

 

 

 

A

9

峠の東側
B

2 3 4 5

峠の西側
C

6 10

隧道の東側
D

11 12 13

隧道の西側

E

7 8

ダムの西側

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