白棚鉄道1 (磐城棚倉駅) 2005.03/2012.02 [TOP] [寄り道] [廃線Web]
大正5年(1916)、白河町にある東北本線・白河駅と棚倉町を結ぶ私鉄として開通したが、 | |
昭和7年(1932)に国鉄・水郡線が開通すると物流はそちらがメインになってしまい、白棚鉄道の経営は悪化した。 | |
昭和16年(1941)に救済措置として国有化されて国鉄・白棚線となったが、昭和19年(1944)には不用不急線として廃止され、 | |
鉄不足のためレールが撤去されてしまった。 | |
終戦後に復旧工事が何度か着工されたが結局完成することはなく、 | |
昭和32年(1957)、鉄道の道床を利用した日本初のバス専用路線として復活することになり、現在も営業している。 | |
その専用道も現在は東半分が利用されなくなり、国道に併合されたり、一部は廃道になっている。 延長:23.3km 軌間:1067mm |
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01 | 磐城棚倉駅跡 | ● | 06 | 梁森駅跡〜磐城金山駅跡 | |
02 | 旧桧木バス停 | ● | 07 | 黄金川橋梁〜幼稚園前バス停 | |
03 | 小菅生橋梁 | ● | 08 | 坂下川橋梁〜番沢駅跡 | |
04 | 切り通し〜金沢内駅跡 | ● | 09 | 社川橋梁〜古関橋梁 | |
05 | 三森駅跡〜高木バス停 | ● | 10 | 古関駅跡〜関辺バス停 |
<磐城棚倉駅付近> いわきたなくら
磐城棚倉駅を北に出た路線は、R118、R289と二本の国道を横断して西へ進む。
まずは駅から国道交差までを紹介する。500m程だが、けっこう「濃い」のだ。
JRバスが待機中であった。
駅舎の裏に回る。
客は左に写る跨線橋を渡り、右の島状ホームから乗車するのだ。
非常に不合理だが、それには理由がある。
軽トラが停まっている所が白棚鉄道の線路跡で、
その左にある段差が、当時のホームなのである。
(ホーム南端)
水郡線は白棚鉄道・磐城棚倉駅に乗り入れる形で開業したため、
このような配置になったわけだ。
駅舎の移転案は出なかったのだろうか?
水郡線はすぐに右へとカーブしているが、白棚鉄道は直進していた。
手前には線路跡の道床が残っているが、その奥は宅地化しているのが見える。
しかし昭和50年の航空写真を見ると軌道跡は宅地化していないばかりか、
まだレールが敷かれ、貨車が停まっている様子すら見られる。
この頃までは「白棚鉄道」が辛うじて残っていたのだ。
最初の踏み切りより北側はレールが撤去され、R118より先は既に宅地化しているようだ。
(国土情報ウェブマッピングシステム」より転載・加工)
車道と化した線路跡が緩やかに左カーブして行く。
左の路肩にある石垣は水路なのだが、鉄道だった頃からあったものだろうか?
国道118号線との交差点だが、この道は鉄道開通後にできた。
当時は踏切りがあったのだろう。
交差点から北側は宅地になっており、線路としても道路としても痕跡は無い。
丸い屋根の建物が印象的だ。
軌道はR118と交差してすぐに、今度はR289と交差していた。
ここにも踏切りがあったと思われる。
GS南側から西に伸びる道が線路跡で、いよいよここからがバス専用道になる。
しかし現在は使われておらず、JRバスは手前に写るR289を通っている。
「バス専用道路あり」との補助標識が珍しい。
[2006.07]
NHKのローカルニュースによると、現在ここにはゲートが設置されている。
本格的に廃止区間の閉鎖作業が行われているのだろうか。
今後、藪化が進むと思われる。
その奥に赤錆びた看板があり、「一般の人・車 通行禁止」とある。
バス専用道として現役だった頃に設置されたもので、
一般車はおろか、人の通行も禁止していたのだ。
それにしてもきれいな廃道である。
もったいない。
振り返ればそこに線路跡はなく、先ほど見た丸い屋根の建物が進路を塞いでいる。
ここには「一時停止」の標識がある。
特異な変遷を辿った鉄道路線を象徴するかのようだ。
その国鉄もJR東日本になり、同時にJR東日本バスが誕生したが後に分社化され、
この路線はJRバス関東の管轄となって現在に至っている。